一乗谷城と小見放城について(その3)

一乗谷城と小見放城について(その3)

編集_DSCF1638小見放城手前の城戸ノ内川砂防ダム(城跡はこの背後)
小見放城は、一乗谷城の出城とされていますが、出城は他にもいろいろあります。
一乗谷城を取り巻いて、周辺地区に数多く配置されていたものと考えられるのです。

先ず、上城戸跡の山付きにある城跡(櫓跡)、
御所・安養寺跡の安養寺側の山付きの櫓跡、
更に朝倉館の川を挟んだ対面の山付きにある月見櫓跡、
その奥の八地谷の山上にある櫓跡、
東大味町の集落北側丘陵上にある東大味城、
鹿俣町の南、鯖江市上戸口町との境界にある三峰城跡、
さらに東郷地区の槇山城、成願寺地区の成願寺城、美山地区の小宇坂城等々…。

小城と小見放城小城と小見放城遺構概念図(『朝倉氏遺跡資料館紀要1991』より引用)
これらの中で、小城と小見放城跡は、位置的に見て一乗谷城の一角を形成しているものと思われ、出城とするより、本城から少し離れた曲輪群の一部としてもよいと思われます。

場所的にも馬出にあって、本城(→「詰城」)の入口を防御する位置にある曲輪群です。しかし、何故小城と小見放城の二つが連続して置かれたのかは分かりません。
或いは、2ヶ所が別々に構築され、結果的に2ヶ所連続しているのかも…。

両者の違いとしては、規模の違いがまず確認され、小城は東西に約60mの規模をもつ曲輪群で、南側からの尾根線をカットした堀切で遮断された2連の曲輪が主たる曲輪になります。小さな竪堀や腰曲輪が取り付いています。

これに対して小見放城は東西方向に約100mの規模をもち、主郭とみられる一番奥の最高位の曲輪から5段連続して平坦部が作り出されて、連格式の山城として完結した形態を保っています。4段目の曲輪には礎石建物の痕跡も見受けられます。
両者ともに遺存度は大変良好です。

この山城遺構が、いまだに保存活用されていないのは不思議です。朝倉館前の月見櫓跡が展望台として、つい最近、整備活用されたのを考えると、まだ望みはありますが…。
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