若越城の会「2月学習会」参加記

若越城の会「2月学習会」参加記

城の会学習会H27年2月
2月15日(日)若越城の会の2月学習会に参加しました。

当日は曇り空、うっとおしい天気の中、北陸高速道路を敦賀市の文化振興課分室に向かって走りました。この2,3日福井を留守にしていたこともあり、久しぶりに車で走ったことも手伝って、懐かしいような気分でした。

快調に車を走らせて、約50分で敦賀に入り、少し余裕で会場に着くことができました。
今回の学習会のテーマは小浜市にある天ヶ城についてです。講師は地元小浜市役所勤務の松川さんです。午前10時30分からお昼頃までの1時間30ほどの講演で、12名の会員が参加しました。

天ヶ城は中世の山城で、若狭守護武田氏の重臣、内藤氏の居城です。天文年間になって武田氏の被官の勢力争いが激化し、小浜市西津や国富平野を納めていた内藤氏が、その領域を防禦するために築いた、と言われています。

守護武田氏の居城は小浜の西、伏原にある後瀬山城ですが、天ヶ城は武田氏の前に守護であった一色氏や武田氏が後瀬山に居城を移すまで、若狭支配の中心であった西津の東の山嶺、南、西、東の三方からの尾根線が集まる、標高266.3mの山頂部に位置しています。

城の会学習会2H27年2月
主郭とみられる曲輪は、水準点のある小さな平坦部から少し南に寄った細長い曲輪です。南北両端に虎口と思われる土塁状の高まりがみられます。また、水準点の北側にも尾根線の地形に沿って細長く延びた曲輪が3ヶ所あり、こちらは土塁囲みの防禦性の高い曲輪となっています。

さらに主郭部から北東部に延びる痩せ尾根の先にも階段状の曲輪が見られ、出城と考えられます。出城は、講師の松川さんの話では国富地区周辺の山間部に10ヶ所も点在していて、その中心に天ヶ城があるとのこと。

天ヶ城のある西津・国富地区から東へは太良荘、宮川荘、と続き、それぞれの荘内に霞美ヶ(新保山)城、湯谷山城、箱ヶ岳城、安賀里城等の山城が点々と連なっていますが、天ヶ城はそうした若狭国内での武田氏被官人たちの覇権闘争に明け暮れた士(つはもの)どもの夢の跡を象徴するかのように、西津の山に佇んでいるように思われます。

講演を聴いているうちに、一か月後の現地見学会がとても楽しみに思えました。既に一昨年の6月に登城している山城ですが、前史的なお話を聴いてから登ると、更に新しい発見がありそうで、ワクワクしてきます。
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COMMENT 2

まつかわ  2015, 03. 01 [Sun] 15:18

昨日、久々に天ヶ城に登ってきました。
登山道には倒木もありましたが、結構楽しかったです。
また、新しい発見?もありましたので
見学会を楽しみにしています。

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城歩きマン  2015, 03. 02 [Mon] 08:33

まつかわさん、コメントありがとうございます。

新しい発見があったそうで、是非、当日教えてください。楽しみにしています。

城の会は、発足から数えて25,6年も経つのに、これまで若狭の山城については、まだまだ、たくさん未踏査の城を残しています。越前よりも、丹後や丹波の影響下でつくられた、山城らしい山城がたくさんあるのに、1,2ヶ所を除いてほとんど登っていません。

県外に出るより、よっぽど若狭の山城をめぐるほうが楽しいのに、と思っています。今後とも是非、ご指導ください。

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