早春の石見路――津和野城(その4)

早春の石見路――津和野城(その4)

TU13二ノ丸東口門跡二ノ丸東門跡
道は尾根に到着し、右は出丸(織部丸)、左は本丸東門と分岐の案内がある鞍部に出ました。左の石の階段を上って二ノ丸東門虎口に出ました。虎口の上には三段櫓の石垣も見えます。

現在、石垣は補修工事中のようで、門跡を迂回して上る工事用階段も組まれています。ここを登ると西門跡、三ノ丸、その奥に台所櫓跡が見えました。付近の足元には瓦片が無数に散らばっています。

TU14津和野城天守台石垣(西面)天守台石垣
この瓦片は、津和野城の建物が明治4年(1871)まで遺っていて、取り壊されたのはそれ以後だとのこと。まだ埋もれずに、散らばっているのも当たり前か…。
背後に天守台の石垣、更にその奥には三十間台の石垣も連なって見えています。

TU15天守台から西三ノ丸を望む天守台から西三ノ丸を望む
ゆっくりと矢印に従って登っていきます。最高所の三十間台に出ました。
四方に視界がひらけて眺めは絶好です。真下に津和野の町並みが手に取るように見えます。陽が射していれば、石州赤瓦の色が映えて美しく瑠璃色に輝いて見えたはずなのですが、今日は曇り空…。

TU16津和野川と城下を望む津和野町市街と青野山
目を北東に向けると、標高907mの青野山が聳え立っています。
三十間台の南には人質櫓台があって、更にその向こうは三ノ丸です。人質櫓とはうまくいったもので、下から見上げると美しい石垣で四面を調えていますが、よく見ると出入り用の階段がありません。つまり「八方塞がり」なのです。
あらためて、下に降りて、その石垣を仰ぎ見ましたが、とても高く聳え立っているように見えました。

三ノ丸の南端には、これも内枡形の虎口を形成する南門櫓台があります。ここを抜けて、先へと道を急ぎます。

TU18津和野城人質櫓石垣人質櫓台石垣
近世に入ってからの部分は高石垣で再構築された中央部分の範囲で、関ヶ原の合戦の後、吉見氏が毛利氏とともに長門に移封され、そのあとに坂崎氏が入城、三本松城を大改修して完成したものです。名前も津和野城に変更したと言います。

津和野城は中世から、戦国時代を経て近世に至るまでの遺構が一堂に並んでいます。まるでジオラマのように見て歩くことができます。その意味でもまったく稀少価値のある城跡ですね。

TU17津和野城三十三間台と人質櫓三十間台、人質櫓台、三ノ丸跡
その中世部分の城が、尾根伝いに出城として並んでいるのを確認しながら、尾根線を進みます。道はそんなに荒れているわけでもなく、ブッシュに覆われていることもありませんので、スムーズに歩くことができました。

そして曲輪群がならぶ尾根道の最南端に中荒城と呼ばれる出城がありました。説明では、吉見氏がこの地に築城した時、最初に築いたのがこの中荒城だと言います。

遺構配置図の付いた説明板を見て、さらに進みます。畝状竪堀がこの出城の裾をめぐっているはずですが…。なかなか見当たりません。どこでしょうか?30分も40分も周辺を登ったり、下りたり…。
スポンサーサイト

COMMENT 0