萩は街中、梅の「花燃ゆ」(その3)

萩は街中、梅の「花燃ゆ」(その3)

萩市観光課パンフ萩市観光課のパンフ
指月山への登り口を入ると、すぐに辿りつくのが洞春寺跡と妙玖寺跡です。洞春寺は毛利元就公の菩提寺であり、妙玖寺はその妻(正室)妙玖さんの菩提寺です。

いずれも平地になっていて、説明板があるだけで寺院跡の面影はありませんが、かつては元就の居城、安芸吉田の郡山城の一角にあったものを、輝元の時代に萩に移封となり、指月山山麓に萩城を築いて、その麓に移したという流れがあります。

萩城跡見学ルート同パンフの見学ルート
いま寺院跡となっているのは、更に幕末の藩主敬親の時代に山口に藩庁を移し、洞春寺も明治になって移転したため、ここにはその跡が残っているだけ、というわけです。
この洞春寺跡の奥に妙玖寺跡があります。こちらも草深い遺跡となっています。海側に「妙玖寺櫓跡」があるそうですが、とてもそこまで廻っている時間はないので、先を急ぐことにします。

HA28萩城詰丸要害門萩城詰丸要害門の食違い虎口
ジグザグの登城道をゆっくりと登っていきます。昨日と打って変わって、今日は快晴の青空です。気分も朝方の観光バスのこともようやくおさまって、清々しい気持ちで登ることできました。

中腹あたりで細長く延びた平坦部が見えてきました。途中につくられた曲輪のひとつで、ここ以外には、東側の中腹に「山中櫓」があって、砲台跡も残っているようです。ここも、かえりに時間があれば立ち寄ってみたいと思います。

そうこうしているうちに、ようやく詰丸入口の食違い虎口に辿り着きました。手前側に土塀が拵えてあって、銃眼の狭間も穿ってあるのが分かりました。

HA29萩城詰丸本丸跡矢穴の残る岩(中央)
詰丸のところで面白いナアと感心したのは、矢穴ののこる巨岩がふたつもそのまま置いてあることでした。
詰丸の各曲輪に石垣を積むため、割石がたくさん必要だったことがつぶさにわかります。最後のこの岩が不要になって、使用されずに廃棄されたのでしょう。
詰丸の二ノ丸、本丸と歩いて西側の木々の間から橋本川の河口が見えます。その向こうは日本海です。しばらく、海を眺めていましたが、今日は晴れている分風も強くて、頂上では吹きさらしになって少し寒いくらいです。

手元の時計を見ると、もうはや10時を回っています。お昼まであまり時間も無くなってきました。まだまだ城下町を回る予定もあるので、早めに詰丸を下りることにしました。
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