萩は街中、梅の「花燃ゆ」(その4)

萩は街中、梅の「花燃ゆ」(その4)

HA31志都岐山神社拝殿志都岐神社拝殿
午前10時を回って、時間がたってしまいました。あとまだ、いろいろ回るところがあります。指月山の中腹の山中櫓も見たかったのですが、次回に回す、ということで下山を急ぎました。
麓に下りてきて、本丸跡地に移築された旧福原家書院や旧梨羽家茶室、花江茶亭跡を横にみながら、奥の東園、満願寺跡まで歩きます。花江茶亭も、藩主の別邸にあったものを明治以降に、ここに移築したものだそうです。

その奥には池泉回遊式の東園跡が、きれいに整備されて遺っています。サギかと思われる鳥が池の端にとまっていました。城歩きマンが近づくとさっと飛び立っていき、置物がおいてあるのかと思ったら、本物の鳥でビックリしました。

東園は藩主の庭園で、6代藩主宗広が、もとあった沼を浚渫して庭園として整備したそうです。ここで、幕末に13代藩主敬親が、家臣たちと茶事に託して藩政や国事に関することをいろいろと議論しただろうか、と想像が膨らみます。

西側山付きにはブルーシートが敷いてあり、土嚢が山積みされていて、「現在発掘しています」と書かれた看板が立っています。何を掘っているのか、城歩きマンはとても気になりました。

池の奥に会所のような建物が建っていたのでしょうか?発掘で遺構を出して、おそらくその建物を整備する計画のようです。

満願寺はもともと毛利氏の拠点であった安芸吉田の郡山城にあった寺院ですが、萩に移封になって一緒に移ってきたものです。満願寺跡は、現在、小さなグランドになっていて年寄りのゲートボール場として使われていたのかな、とも思います。

HA26萩城堀内運河河口より指月山を望む指月山と二ノ丸銃眼土塀、石垣
ここをさらに奥に進むと「三摩地(さんまち)院櫓跡(北矢倉跡)」が海岸ギリギリのところに遺っています。磯釣りの穴場みたいに、目立たないひっそりとした場所です。砲台も置かれたのか、それらしい石垣がブッシュに隠れて、荒れた状態で残っていました。

北端部の櫓跡から戻る途中、海岸べりに銃眼土塀が復元されていました。海側からみると、指月山の形と相まって、土塀や石垣の白い横線が美しく、海城としての萩城の姿がとても印象的でした。
スポンサーサイト

COMMENT 0