萩は街中、梅の「花燃ゆ」(その5)

萩は街中、梅の「花燃ゆ」(その5)

萩城下町見学の続きを述べることにしましょう。

HA24萩城二ノ丸内堀から指月山を望む二ノ丸内堀から天守台・指月山を望む
二ノ丸の海側にある銃眼土塀を見た後、もう一度城内に戻って、本丸門の西側を散策することにします。
途中、志都岐(しづき)神社の建物が、鬱蒼とした森の中に佇んでいました。とても古びて見えましたが、明治11年に萩城の跡地に萩藩の歴代藩主を祀るために、有志の手によって建立されたと言います。

HA25萩城天守台礎石列萩城天守台礎石列
最初に歩いた本丸門から、もう一度指月山を見上げたら、陽の光に映えてとても凛々しく映りました。
石垣造りの内枡形虎口になった二ノ丸南門に来ました。門の向こうには広場になった広い駐車場があります。門の、向かって左手には毛利輝元公の像が鎮座していました。

HA21萩城大手門萩城二ノ丸南門
広い駐車場をゆっくり歩いていくと、お土産店の脇に「萩八景遊覧船乗り場」と書いた大きな看板が立っており、萩城の廻りを遊覧船で回れるとのこと、さっそくお店の人に乗れるか、と聞いたところ冬期間(2月一杯)はサービス休止ですとのこと、津和野のリフトに続いて、ここも空振りでした。

仕方がないので、このお土産店でコーヒーを飲みながら、しばしの休憩。
先ほどの、城内入館の折にもらったチケットに「旧厚狭(あさ)毛利家萩屋敷長屋」の観覧券もついていましたので、これは見ておかねば、と思い入ってみることにしました。

HA32旧厚狭毛利家萩屋敷長屋跡旧厚狭毛利氏屋敷長屋跡
「厚狭毛利家」とは、毛利元就の五男、元秋を始祖とする毛利家の庶流です。山口県山陽小野田市にある厚狭地方の所領があったところから、こう呼ばれています。上屋敷がこの地に建てられていましたが、明治維新後に解体されて、長屋のみが残っているというわけです。国の重要文化財に指定されています。

桁行(建物の長さ)約51mもある細長い建物で、内部には生活道具などが置かれて、ジオラマふうに見学できるようになっています。

HA33天樹院墓所2天樹院墓所
そのあと、城下町に向かってそろそろと歩き始めます。堀内運河と呼ばれる大きな川を渡り、東に向かって進みます。東西に碁盤目のように仕切られた家並みが続いています。
このあたり一帯は萩藩の上級家臣の武家屋敷町になっています。その一角に天樹院という寺院が見えました。
天樹院とは萩藩祖の輝元公の法名です。輝元公の隠居所だったものを、彼の死後に菩提寺としましたが、明治維新後は廃寺となって墓所のみが残っています。

さらにその先を進んでいきましょう。周りの景色が明るくなって、大きな街区に出ました。南北に南片河筋と呼ばれる外堀通りがあります。萩博物館はこの通り沿いに立っていました。
萩の城下町は、この通りを境に東西に大きく分けられ、西側はいわゆる萩城内、東側は城下町ということになります。高杉晋作や、木戸孝允の旧宅はこの一角にあります。ひとつひとつ回りたかったのですが、これも時間のため、オミットすることに…。
とりあえず萩博物館に入ることに。

HA34萩博物館萩博物館入口
昭和34年(1959)に萩市郷土博物館としてオープンしたのですが、道路工事のために移転することになり、平成16年にこの地に新たにリニューアルオープンしたのが、萩博物館です。和風の建物がとても周りの景観にマッチして素敵です。
わが福井市の歴史博物館も、和風の作りで養浩館の庭園とマッチしてとてもきれいな建物になっています。ここで、萩の歴史を勉強することができました。
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