金津は東西文化の交流地点

先週の7月7日(土)から16日までの10日間、あわら市金津創作の森で、桑野遺跡の出土品展が開かれています。この遺跡は縄文時代早期~前期の祭祀、集団墓地遺跡で20数基に及ぶ墓地から、大量の石製装身具、主として「玦状耳飾」が出土したことから、発掘調査がすんでから20年もたっていますが、国の重要文化財に指定されることが決まり、それを記念して展示会を開いた、ということです。
墓地に埋納された80数点に及ぶ玦状耳飾の発見は、1遺跡から、という意味ではギネスもので玉器の生産では先進地域であった中国や朝鮮の遺跡の様相をはるかに凌いでいるそうです。遺跡自体は区画整理事業のために消失しましたが、遺物は金津の重要な文化財として、また福井、いや日本の宝としてこれからも一層の光彩を放っていくことと思います。
なにがすごいかと言えば、この桑野遺跡の内容もさることながら、当初、なんの変哲もなかった金津駅(現在はJR芦原温泉駅)の東側の高台を区画整理事業のために発掘することになったのですが、試掘調査の段階までは、小さな規模の、縄文土器片を散布する遺跡だろう、ぐらいの判断でした。掘り進めるうちに縄文時代としては古い時期に相当する、早期~前期の祭祀、あるいは集団墓または埋葬施設を伴う遺跡であることが次第に分かってきました。調査は平成4年から6年までかかりました。
この遺跡を一人で、最後まできちんと掘り上げた(当時は金津町の)発掘担当職員さんのねばりと責任感のすごさに脱帽です。城歩きマンも、この遺跡の試掘段階から、少々関わりがあったので嬉しさもひとしおです。
金津・芦原一帯は古代から中世にかけて、東大寺領坪江、河口庄として開発され、戦国時代にも堀江氏、溝江氏の根拠地ともなった由緒ある土地柄ですが、それ以前のズーット前から、7000年近く前から開かれた土地であったという事実に打たれています。
若狭の鳥浜貝塚が知られていますが、これとほぼ同時期、同時代に加越台地の一角にこうした飾り玉類を豊富に所持しえた一団が存在した、という事実。朝鮮半島経由の中国大陸との交易、を考えざるを得ないすごさに心打たれるのです!
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