祇王・祇女屋敷と清盛

祇王・祇女屋敷と清盛

8福井市祇王屋敷福井市三郎丸町に立つ祇王の石祠
平成27年4月30日(木)大野市宝慶寺、池田町鵜甘神社見学の帰りの足で、福井市三郎丸町にある祇王・祇女屋敷跡に立ち寄りました。

祇王・祇女とはかの平清盛に寵愛された遊女祇王とその妹のことで、仏御前にその座を奪われた祇王が都を追われてこの地に屋敷を構えて余生を送ったという伝承地です。

祇王屋敷跡位置図西藤島公民館パンフより
『越前国城跡考』にも「祇王祇女居、三郎丸ヨリ三町計東ニ十五間四方計之所、当時祇王堂有之」と記されています。
そしてこの祇王は、『平家物語』に出てくる話としてたいへん有名です。

謡曲にもなっている話で、なんとも大層な話になってしまうのですが、この祇王の屋敷跡が三郎丸町の西藤島小学校のすぐそば、公民館との間の敷地の一角に今も残っているのです。
西藤島公民館パンフ
パンフレットの説明書きには「平家全盛のころ(1165~1170年)、平清盛の愛妾であった白拍子の祇王とその妹祇女が住んでいたと伝えられているところ。近くには祇王が使用したと言われる櫛が見つかったという伝承からその祠がある。後略」と書かれています。
こうした伝承がちゃんと地元にも残っているということが素晴らしいのですが、異説があって滋賀県野洲町の祇王寺は祇王の生誕地と伝える故地です。野洲町中北で生まれた、と言われるのでこちらが本当かな、とも思うのですが福井市三郎丸町のあるところは足羽川の下流域で日野川との合流点近くにあたります。

この地域一帯は中世の荘園足羽庄、或いは足羽御厨があったところで一時期平家の所領でした。この地の一角に清盛から屋敷地を与えられて住まいした、としても何の不思議もありません。
そのことを裏付けるように、付近の菅谷町ではかつて平成5,6年と17,18年度に日野川の河川改修工事に伴って事前の発掘調査が行われ、弥生時代から奈良・平安時代にまたがる集落跡、倉庫跡また墓地跡等々が見つかっており、初期荘園東大寺領鴫野荘に相当するところと目されています。
こうした背景のもとで祇王・祇女屋敷のことを考えるとさもありなんと思うのですが、いかんせん、それ以上に関連資料や文献が残っていません。伝説の域を出ない所以でもあります。
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