祇王伝説と祇王屋敷

祇王伝説と祇王屋敷

28野洲市祇王寺の標識滋賀県野洲市中北祇王寺の案内標識
平成27年5月22日(金)福井新聞講座の情報収集のために、滋賀県野洲市中北を訪れました。

近江八幡市と隣接する琵琶湖の南東の一角にある田園地帯です。
ここは『平家物語』に登場する白拍子「祇王」が生まれたと言われる故地で、平清盛から寵愛を受けましたが、仏御前の登場によって清盛の庇護から離れ、出家して生まれ故郷に帰り、その地の水利事業に功績を遺したので、村人がその遺徳を偲び、一宇を建立。祇王寺として今日まで篤く尊崇され続けていると言います。

29野洲市祇王寺門前中北祇王寺(南東から)
午前11時近くになっていましたが、ようやく現地の祇王寺に辿りつきました。周りの田んぼはほとんど田植えが終わっていて、青苗がみずみずしい静かな農村の中ほどにそのお寺が建っていました。
門が固く閉ざされていましたので、通りがかりの人に尋ねると、もうずいぶん前から無人の寺になっていて、誰もいない、とのこと。
境内に入ることはかなわず、村の北側にある祇王屋敷へと足を進めました。

26野洲市祇王屋敷跡
祇王屋敷跡(南東から)
祇王寺のお寺から歩いて2,3分の距離です。杉林になった木々の中に小さなお堂があり、入口に案内板が建っています。

 祇王屋敷跡
 祇王と祇女の姉妹は今から約800年前に橘次郎持長の娘としてこの地に生まれましたが、保元の乱で父を亡くしたため母とともに京都に出て白拍子になり、平清盛公に仕え、寵愛を受けました。ある時、祇王は清盛公から「何か望むものはないか」と聞かれたので「故郷の人々が水不足で苦しんでおり、ぜひふるさとに水路を引いてください」とお願いしたところ、当時経済政策に力を入れていた点とも合致し、早速清盛は、野洲川から水路を引かせました。
そのおかげで付近一帯(約三千反)の水不足は一気に解消し近江でも有数の米どころとなったのです。ときに祇王二十一才、祇女十九才でありました。
 この水路は祇王井川と呼ばれ今なお水田をうるおしています。また敷地内の碑には、この祇王物語が刻み込まれており、近くには村人が感謝して祇王寺が建てられています。

平成二十六年三月
                                                          野洲市観光物産協会
                                                          (祇王屋敷跡説明板」より)

日付は昨年の三月となっていて、つい最近建てられたようです。

27野洲市祇王屋敷跡石碑祇王屋敷跡の中ほどに立つ石碑
祇王の物語は平家物語自体の主題である、諸行無常、盛者必衰の理を象徴するもので、清盛がいかに横暴を極めたか、という話を載せていると言います(『新潮日本古典文学集成 平家物語(上)』p74)。

しかし清盛のおごりを極めた話の一環ではあっても、この「祇王伝説」は何とも儚く、もの悲しい風情が香り立つ、とても古典的な物語です。この伝説が福井や石川、そして滋賀県などにまたがって残されていることにとてもロマンがあると思いませんか?
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