祇王御前と仏御前

祇王御前と仏御前

小松市原町仏御前の里(南東から)石川県小松市原町入口(南東から)
先週の金曜日、24日に滋賀県野洲市の祇王寺を見学した勢いで、今度は祇王にたいへん関係の深い仏御前のゆかりの地を訪ねることにしました。

石川県小松市原町、その名も「仏御前の里」。車で一般道の国道8号を1時間ほど北へ向かった小松市の山手のところにありました。

『平家物語』では「かくて三年と申すに、京中にまた白拍子の上手一人出できたり。これは加賀の国の者なり。名をば仏とぞ申しける。年十六とぞ聞こえし」と紹介しています。

この原村は、かの『朝倉始末記』「享禄4年11月2日」の条にもその名が出てくるようで、朝倉宗滴が三山大坊主衆らを支援して加賀に侵攻し、超勝寺の本拠であった山内庄やその勢力下にあった原村へ攻撃態勢を整えていましたが、結局、攻撃はなかった、というふうに記述されています。

仏御前の里にある千才庵原町「仏御前の里」千才庵
角川の地名辞典『17 石川県』では『能美郡誌』からの引用をまじえて花山法皇の巡幸に際して、五重塔が建てられ、塔ノ原と称されていたが平清盛に寵愛された仏御前の生誕地であったことから仏ヶ原と呼ばれるようになったことを紹介しています。

ちなみに福井県大野市にもその名もずばり「仏原」があります。西勝原と下山の間にある村名で、仏原ダムや仏御前の滝などもあって、ここも関係があるのか、と思いましたが、仏原という地名自体は江戸時代以降の名のようで、地名由来も不詳で、なぜ仏御前に関係した地名なのかよく分かりません。

仏御前の出身地は「加賀」の仏原とされていて、この大野市仏原は美濃国郡上郡に属していた時期もありますが、加賀国に含まれる要素はあまりないかな、とも思います。(この項続く)
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