波羅密城(原目山城)の想い出

梅雨明けも間近と思わせるような酷暑が続いています。こんな時期は、山歩きはとても大変です。熱中症も気になるし、草や葉っぱが生い茂って山中はほとんど見通しがききません。
学生時代には、夏休み期間中が思い通りに時間をつくれる時でもありましたので、勢い、山歩きや遺跡の踏査は真夏の暑い日になります。マ、若かったので、その勢いもあり、あんまり体力や熱中症のことは気にかからなかったものです。
県内の山城では、原目山城(波羅密城)、豊原寺、杣山城、鷹巣城等々が思い出されます。全部が全部、学生時代のことではありませんが、夏の暑い日に山中を歩きまわった記憶が今もアリアリと脳裏をかすめます。福井市の東部、松岡町(今は永平寺町)との境界にある原目山は古墳群と重なった山城で、一部発掘調査が実施され、蔵骨器と思われる陶磁器(甕、壷の破片)が出土したりしたので、中世の墓地群も重なっているかもしれません。
原目山城は南北朝期の波羅密城のことで、福井市原目町の背後の丘陵があてられています。太平記巻20「黒丸城初度の軍の事」で新田義貞が足羽ノ城を攻めるため、出城とみられる5か所へ軍勢を差し向けるのですが、そのうちの一つが波羅密城だと後世の識者は指摘しています。古墳群の凹凸を一部改変して、山城に仕立てたものでしょうか?
近くには西超勝寺の敷地をあてる藤島城、あるいは加賀で勢力を誇った林六郎光明が構えたとされる林城などがあり、位置や名称が混同しているのかもしれません。いろいろ問題のある山城で、再踏査が必要な山城の一つではあります。
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