越前大野城の踏査その2

越前大野城の踏査その2

1大野城北側登城口北側登城口
大野城は戌山の東、亀山の丘に築城されたので、別名亀山城とも呼びますが、この名前はあまり使われることはないようです。
この城は、冒頭でも触れましたように平野の西側、飯降山(標高884.3m)の麓下、独立丘陵の亀山の上に築かれています。戌山城は飯降山北端部が大野平野に突き出た先端部にあたり、大野城はそのすぐ東側に並んでいます。

2あさぎ櫓跡本丸東のあさぎ(麻木)櫓跡
この築城にあたっての遷地の状況は、丸岡城、東郷槇山城、あるいは敦賀城、若狭の小浜城もみな一様に共通したものとなっています。
即ち、すぐ近くに中世以来の戦国大名や有力武将、あるいは寺社勢力が拠点としていた居城があって、そこから少し平野側に出た位置に新たに築城するといった状況。

必ずしも全国の城が皆、この傾向に従ったというわけではなく、もちろん例外もあるのですが、福井では共通した動きを示しています。金森長近が築いた大野城ですが、丸岡城や敦賀城、小浜城は全くの新天地に築いた、という印象がありますが、東郷槇山城は元東郷城主朝倉正景の居城であった城跡を修築して築いた様子が伺え、新旧入り混じった形態を示しています。

3金森長近像本丸天守東側広場に立つ金森長近公の像
大野城はどうでしょうか?
いまのところ、亀山の地に中世山城があったという記録も、根拠もありません。歴史的には「新たに」亀山の地に城を築いたということになっています。疑う余地はないのですが、それにしても戌山城の尾根続きの、清滝集落の山上に西方寺城があって戌山城の出城と考えられるものが位置している。

もしや亀山の地にも戌山城の出城があって然り…?
この疑問が城歩きマンの脳裏にいつも浮かんだり消えたり―。

4大野城本丸から戌山城を望む大野城本丸からみた戌山城
そんなわけで、今回夏の暑い真っ盛りにも拘らず、体力のことも顧みず登城を決意?したのでした。
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