越前大野城の踏査その4

越前大野城の踏査その4

9大野城二ノ丸跡二ノ丸跡(有終西小学校・学びの里めいりん)
大野城は亀山丘陵の尾根線に沿って築城され、山頂部にあたる本丸部分の平坦地を中心にして、南にはお福池や武具蔵跡の遺構が残る天狗の間の櫓直下にある曲輪、手すり付きの階段が連続する2段の平坦地、堀切を挟んで、さらに南側には土井利忠公の像のある平坦地と、計4ヶ所の曲輪が並んでいます。

逆方向の北東方向へはあさぎ(麻木)櫓跡のある曲輪、フィールドアスレチックがある平坦地、その先に取り付いている金龍院の御堂のある曲輪、その先の少し段差がある曲輪、北側登城口に近い33番観世音菩薩像の並ぶ細長い曲輪というように計5か所の曲輪が並んでいます。

最南端の土井利忠公の像がある曲輪は周りがきれいに均されていて、縁辺(エッジ)には2段積みの縁石が見られますが、後世の公園整備によるものでしょう。同様な例は西側登城口の直登の階段がある斜面にもみられ、堀切の一段下まで、丁寧な石垣積みが施されています。中腹にも見学道路に面して石垣積みがあり、後世の整備で崖面の補強を図ったものと思われます。

11大野城中腹から荒島岳を望む本丸下から荒島岳を望む(手前は二ノ丸跡)
金森長近公の像がある本丸東側の石垣も後世の積み直しと思われ、高石垣が本格的に積まれていたのは本丸部分だけではなかったか、と思われます。その他の曲輪はエッジの崩落を防ぐための補強の石積がほぼ全体にわたって確認できます。逆な言い方をすれば、斜面は法面整形によるもので石垣はなかったのではないか、ということです。

この状況は福井市の東郷槇山城にもみられ、本丸、二ノ丸の斜面に石垣が積まれた痕跡が残っているのですが、その他千畳敷や堀切・土塁部分には石垣は見られません。東郷槇山城は本丸の北側に朝倉正景時代の山城部分を多く残し、こちらは修築は加えられなかったようです。

これは城歩きマンの主観的な見方になりますが、大野城も必要な中心部分にのみ石垣を積んで、縄張の補強工事を行った可能性が考えられるのですが…?

10大野城南側堀切大野城南側堀切跡
そうなるとやはり当初の予想にあったように、長近の築城以前に何らかの施設があった可能性が――。
マ、夏場でもあり、斜面の様子は葉っぱの陰でほとんど見えません。はっきりしたことは冬場にもう一度踏査して決着をつけていきたいとも思います。
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