平成27年度若越城の会第1回学習会を実施!

若越城の会8月学習会の報告

平成27年8月23日(日)敦賀市東洋町プラザ萬象・敦賀市生涯学習センターで「若越城の会」第1回学習会が実施されました。

国道8号線から敦賀港、金ヶ崎を望む国道8号線から敦賀港を望む
今回は、会場が敦賀だというので早めに自宅を出発したので、ゆっくりと余裕を持って敦賀に向かうことができました。
いつも敦賀に出かけるたびに敦賀湾の景色が素晴らしく良い時があり、ゆっくり眺めることもなかなかできずに帰ったり、また、敦賀湾一帯に散在する一向一揆関係の山城もじっくり見学できずにいます。

今回はそんなことがチラッと脳裏に浮かんできましたので、杉津の手前で国道8号線からわき道にそれて海岸近くへ回ることにしました。杉津の手前はちょうど海に向かって岡崎山が突き出るように延びていて、東西に約300m、南北に約200mの範囲にくの字に折れ曲がった尾根線上に曲輪が10ヶ所以上も並んでいます(『福井県の中・近世城館跡』より)。

敦賀市岡崎山砦敦賀市岡崎山砦跡(正面丘陵)
この山に信長を迎え撃つべく、一揆の大将大町専修寺、堀江中務丞景忠などが立て籠もったといいます。標高約80mの小山ですので、登城はそんなに根気しないでも登れそうです。近いうちに登城を果たしたいと思います。

すぐそばにはやはり一揆の城跡として、杉津・河野砦があって、府中へ抜ける北陸道「山中峠」をおさえる重要な要の城になっていました。
そんなこんなで、いろいろ寄り道をしながら、お昼の12時過ぎにようやく敦賀に入りました。

今回は11月に実施予定の県外研修で「四国の城館めぐり」を行うに先立って、高知県南国市から、高知県立歴史民俗資料館学芸課長の野本亮さんに敦賀までお出で頂き、「長宗我部元親の四国平定」と題するお話をしていただきました。

学習会は敦賀気比史学会にも呼びかけて、合同学習会といった形になりましたので、参加者はいつもより倍増の40名ほどになりました。

敦賀市生涯学習センター
野本さんは長年、資料館に務めながら長宗我部氏について研究を続けてこられたベテランです。四国では、場所やお会いする人それぞれに長宗我部氏に対する思いがいろいろあって、うっかり持ち上げるようなことを言うと叱られることもある、と冗談交じりにお話していました。
高知県はもとより、香川や徳島などは征服された側なので、今でも長宗我部氏にはいい印象を持っていないとか…。
四国を統一した長宗我部元親の人物像や、長宗我部氏の由緒、歴史的背景などもお話しいただき、なぜ、元親が四国を統一しようとしたか、という大義名分についてもお話を聴くことができました。

特に注目すべきは最近「石谷(いしがい)家文書」が岡山の林原美術館で見つかり、元親と信長の四国支配をめぐるやり取りが文書で残っていて、その内容には通説では天正3年に元親が信長に服属し、嫡男に「信」の一字をもらったと言われるが、石谷家文書では年号が天正6年になっている。これが事実なら、後の元親による阿波、讃岐への侵攻の意味合いが変わってくることになると言います。

城の会学習会風景2015,8,23
また、天正10年の本能寺の変が起こった理由に、四国の長宗我部氏が関与しているらしいが本当か?という質問にも、元親と信長の不和が底辺にあるのであり得ない話ではないこと。
さらに、さらに元親は一体に四国を本当に平定したのかどうか、という疑問説があるが、これも最近になって優勢になっていること等々が聴けて大変充実した講演となりました。

野本先生、本当にありがとうございました。
今回特別に参加していただいた気比史学会の皆さんにも満足していただけたものと思います。11月の県外研修に大きな弾みをつけることができました。
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COMMENT 2

midorishako  2015, 08. 25 [Tue] 18:36

面白かった

野本さんのお話は、気持ちが伝わってくるようで、大変面白かったですね。ご自分では「話が下手」とおっしゃっていましたが、話が脱線するたびに、かえって引き込まれていくような感じでした。お話したいことがいっぱいだったのでしょうね。

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城歩きマン  2015, 08. 26 [Wed] 08:16

midorishakoさん、コメントありがとうございます。

又、遠くから学習会に参加していただきありがとうございます。本来は、城館めぐりの予備学習なので、城の話をしなければならないのですが、最近はもっと幅を広げて、周辺の話題を勉強しようという姿勢に変わってきています。

その意味で、今回の話は大変有意義だったと思います。
今後にもご期待ください。

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