「ふるさと福井の歴史と文化財にまなぶ」見学会(10月)の下見実施

「ふるさと福井の歴史と文化財にまなぶ」見学会(10月)の下見を実施しました

「ふるさと福井の歴史と文化財にまなぶ」表紙
今月8月27日(木)第5回8月分の講座を終了しました。

そこで翌日8月28日(金)、講座「ふるさと福井の歴史と文化財にまなぶ」で、10月に現地見学会を予定していますので、そろそろと思い、下見を兼ねて予定地を回ってきました。

対象に選んだ場所はいずれも坂井市にある遺跡、史跡になります。一度に廻れる範囲を考えて、これが最大限のくくりかなと思います。機会があれば、対象地を鯖江や武生、あるいは大野などに少しずつシフトしていけば、県内全体をある程度カバーできるかな、とも思います。

いずれにしても、今回は坂井市内の中世の城館跡をめぐる見学ということになります。気がかりなのは、やはり通常の室内での講座の時間が目安になりますので、限られてきます。ほぼ90分の中で、何ヶ所回れるか…。
そんなことを考えながら、対象地にピックアップしている丸岡城、長崎称念寺、溝江館跡、金津奉行所跡、本荘城跡、春日神社、堀江館跡等々をコース、順路を考えながら車でひととおり、巡ってきました。丸岡城以外はあまり知名度がなく、何のこと?と言われかねない場所です。

丸岡城パンフ(坂井市丸岡観光協会)丸岡城パンフ(坂井市丸岡観光協会発行)
まず丸岡城、これはもう福井を代表するような城跡ですから、坂井地区をまわる際には絶対はずすことのできない遺跡ですね。日本百名城にも登録されている全国区の城跡です。最近、島根県の松江城が国宝に指定されましたが、丸岡城も戦前のように再び国宝に指定されるよう、城の復元や整備を進めようという動きが始まりました。

丸岡城復元模型天守閣一階に置かれた復元模型
丸岡城のすぐ近くに、最近、「日本一短い手紙の館」が開館しました。あの有名な「一筆啓上…」に始まる手紙のコンクールが毎年丸岡で続けられていますが、その拠点となる資料館ができたのです。時間があれば立ち寄ってみたいと思います。

日本一短い手紙の館日本一短い手紙の館(南から)
丸岡城遠望(資料館より)丸岡城遠望(手紙の館展望所より)
丸岡城から西に車で約10分のところに長崎称念寺があります。これは南北朝時代に新田義貞さんが戦死した際に、その亡骸(なきがら)が葬られた寺跡として『太平記』にも記されている、これまた著名な遺跡です。

長崎称念寺パンフ(長林山称念寺)長崎称念寺パンフ(長林山称念寺編集)
境内は見学の際にいちいち断らなくても自由に見学できるとのことで、とても開放的な遺跡でした。見学した時には、折よく幼稚園児らを連れた保母さんたちのグループに遭遇し、心和むひとときを過ごしました。

長崎称念寺(新田公墓所)新田義貞公墓所(同境内)
新田公墓石同墓所玉垣
旧金津町にある溝江館跡は朝倉氏の家臣の館跡で、興福寺の坪江庄の溝江郷に根拠地をもっていた豪族でした。織田信長の越前攻めに際して朝倉氏を裏切り、所領が安堵されましたが天正2年の一向一揆の叛乱によって溝江氏は滅亡します。

しかし歴史(事実)が小説よりも面白いということを地で行くような話があります。それはこの溝江氏が、一向一揆のあと織田信長に仕えて溝江家を再興し、信長亡き後は秀吉に従い、天正13年に丹羽長重が北ノ庄に入城すると、「金津城主」として坂井郡3000石を任され、慶長3年小早川秀秋が北ノ庄の城主になったときにはその城番を務めています。

溝江館跡(金津)溝江館跡(金津町古町地区)
また、関ケ原の合戦の後には、西軍に加わったということで領地を没収され、諸国を浪人していますが、彦根藩主井伊家に見いだされ、以後彦根藩の武士として続いていく、という話です。

金津奉行所跡(金津)奉行所跡
金津には江戸時代になって設けられた坂井郡の警察や政務をつかさどる奉行所跡が、竹田川の川べりにあります。

春日神社パンフ(春日神社)春日神社パンフ(春日神社発行)
この金津奉行所をあとにして、六日市の交差点を左に回り、西に約2.5㎞進むと鬱蒼とした杉林に囲まれた春日神社があります。この神社は興福寺領河口荘があった坂井郡一帯の水田をうるおす「十郷用水」の総鎮守として建立された神社で、中世以来用水の維持、管理に携わってきた由緒ある神社です。

春日神社(本荘地区)
現在本殿の修復工事中ですが、見学に予定している10月の下旬ごろには工事も完成するそうなので、間に合うと思います。
この春日神社のすぐ西隣りには本荘小学校があって、敷地一帯が堀江氏の館跡に比定されています。堀江氏は越前斎藤氏の流れをくむ武将で、坪江・河口荘の代官として在地に根を張り、土豪から成長して朝倉氏の時代にはその重臣の一人として坂井郡一帯を支配する大勢力になりました。

永禄10年(1567)には先に紹介した溝江氏との勢力争いに絡んで合戦が行われ、当主である景忠は溝江館に陣を張っていた朝倉義景と戦いました。
堀江氏は溝江氏と同様、朝倉氏滅亡後には信長に臣従しましたが長くはつづかず、国外に逃亡することになります。

堀江館跡(番田地区)堀江館跡(番田地区)
『越前国城跡考』にはこの堀江氏の居館跡を、ほかにも竹田川を挟んで北にある番田の集落の東側にも一ヶ所比定しています。こちらも堀江氏本宗家の石見守家が居館した場所と伝えられています。
このように、坂井郡には中世の歴史を彩った多くの生き証人である遺跡が数多く地下に眠っています。これらを一つ一つ辿っていき、薄れかけている歴史の真実を掘り起こすことで、埋もれたままの越前の当時の様子が少しずつ蘇ってくるような気がします。
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COMMENT 2

midorishako  2015, 08. 31 [Mon] 06:22

戦国武将の生き方

すごいですね。
坂井市に、こんな中世・戦国時代の歴史があったとは、ぜんぜん知りませんでした。おっしゃるように丸岡城ぐらいしか知らなかったです。戦国時代に、いろんな武将が活躍していたのですね。溝江氏の動向が面白いです。粘り強いと言うか、家を守るために、ものすごい努力をしていることに驚きました。強大な織豊政権と向き合いながら家を守っていく戦国武将の姿が目にみえるようでした。

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城歩きマン  2015, 08. 31 [Mon] 08:03

midorishakoさん、コメントありがとうございます。

講座をやっているお蔭で、こうした県内の遺跡をしらみつぶしに調べてまわることが趣味とも、義務ともいえることになり、この数年間の間にだいぶん、まわることができました。

これからもいろいろ調べて歩きたいと思います。

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