愛媛県松山城の見学

愛媛県松山城の見学

伊予鉄道(株)松山城総合事務所パンフより伊予鉄道(株)松山城総合事務所「案内パンフ」より
平成27年11月13日(金)若越城の会県外研修で四国の城館めぐりをしました。
最初に訪れたのは愛媛県の松山城です。

編集_7松山城リフト乗り場前にてロープウェイ乗り場前の嘉明公銅像
このお城は関ケ原の戦いが終わったあと、東軍について功績のあった加藤嘉明が淡路から伊予半国20万石を任され、松山に築いたお城です。標高132m(比高差110m)の独立丘陵の山頂部に本丸をおき、麓に二ノ丸、三ノ丸といった郭や登り石垣、堀をめぐらした平山城の典型的なお城です。

編集_8松山城リフト降り場松山城ロープウェー発着場
築城は慶長7年(1602)から始まり、嘉明の会津移封の後、蒲生氏が引き継いで城の造営を続け、ようやく二ノ丸の完成を見ました。天明4年(1784)の落雷により天守などの建物が焼失してしまいましたが、幕末の嘉永五年(1852)になって天守の再建が実現し、日本で一番新しい時期の天守建築となりました。

編集_9巽櫓(長者ヶ平登城口より)筒井門横の隠門続櫓
ロープウェーで長者ヶ平(ちょうじゃがなる)と呼ばれる平地に着きますが、ここから登城道になります。
城の本丸部分は南北に細長い縄張で、東南側が大手の筒井門になります。実際の大手門は二ノ丸から、東登石垣に沿って登ってくると大手口、大手門に至ります。

編集_14待合番所前にて大手門前の待合番所跡にて
途中の石垣は新たに積み直しの改修が行われているらしく、真新しい御影石による白い石垣が雨にうたれて鮮やかに聳え立っていました。割石による打ち込み矧ぎの石垣で、くさびの後も真新しく見えました。

編集_11揚木戸門続石垣揚木戸門跡から続く石垣
大手門跡からヘアピンのように180度に折れ曲がった道を登ると戸無門にいたります。そこから屈曲して筒井門をくぐり、太鼓櫓を左に見ながら、太鼓門をくぐり、長い本丸への通路を歩きます。

西久保企画編集「松山城」パンフより伊予鉄道(株)松山城総合事務所「案内パンフ2」より
本丸部分は、姫路城と同じように、連結式の天守となっていて、一ノ門を前にして左に小天守、奥に天守、四隅にそれぞれ櫓が配されていて、複雑な配置構造となっています。

編集_16大手門前にて大手門前にて
編集_18松山城筒井門筒井門
天守は嘉明のときには五重の大天守でしたが、後になって三重三階の天守に改修したと言われています。それでも現在までに残っている建物の数は姫路城に次いで多く、その大半は重要文化財になっています。

編集_22松山城ゆるキャラマスコット「よしあきくん」ゆるキャラマスコット「よしあきくん」と松山城天守
編集_24松山城天守紫竹門前から仰ぐ天守
編集_28城内展示風景城内展示風景
松山城を築いた加藤嘉明は加藤清正、藤堂高虎らと並んで、城造りの名人とも言われますが、秀吉の子飼いの武将で、柴田勝家との賤ヶ岳の戦いでは七本槍の一人として活躍しました。また朝鮮の役では蔚山城の清正を助けて、功績をあげました。

編集_30天守から南隅櫓を望む天守から南隅櫓を望む
編集_35天守から乾櫓を望む天守から乾櫓を望む
さらっと見流す程度で見学を終えてしまったのですが、松山城の価値は、とてもこの一回の見学では知ることは不可能でしょう。また、別の機会に二度、三度と見学する必要がありそうですね。
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