高知県南国市岡豊城の見学

高知県立歴史民俗資料館パンフレットより高知県立歴史民俗資料館パンフより引用
高知県立歴史民俗資料館パンフより高知県立歴史民俗資料館『岡豊城跡』裏表紙より引用
高知県二番目の見学地は、南国市にある岡豊(おこう)城です。
平成27年11月14日(土)午前8時に松山を発ってからは既に昼を回っていました。雨が少しでも上がってくれれば、と念じながら高知大学付属病院の白い建物を通り過ぎると、ほどなく高知県立歴史民俗資料館に着きました。

編集_84岡豊城資料館雨で薄暗い高知県立歴史民俗資料館
編集_85元親公の銅像資料館入口の真ん前に建てられた元親公の像
このお城については城歩きマンは、一昨年の9月、中国・四国の城郭研究会のシンポジウムに参加するため、高知市を訪れ、岡豊城もじっくりと自分の足で歩いて、その規模や内容を確認していた城でした。

編集_87資料館展示室前にて資料館受付口にて元館長さんより説明を受ける
その意味では2度訪れていることでもあり、印象深い山城のひとつになっています。かつて山城の一角に「歴史民俗資料館」を建設する計画がたてられ、その事前調査が昭和60年から平成2年にかけて行われました。

編集_89岡豊城二ノ段にて岡豊城最初の見学地、二ノ段にて
さらに県の史跡になっていた岡豊城の、整備を進めるための遺構確認発掘調査が主要なカ所について行われました。
そしてまた、10年後の平成12年から13には伝家老屋敷などの主要な遺構が明らかにされ、平成20年になって国史跡に格上げ指定されました。

編集_91二ノ段から国府を望む岡豊城二ノ段から国府方面を望む
岡豊城は戦国の覇者長宗我部氏が土佐一国に止まらず、四国全域の統一に向けて活躍した出発点でもあり、又到達点でもあった城です。
とてもストーリー性のある、貴重な山城のひとつであると城歩きマンは考えています。

編集_92詰下段脇の堀切、井戸岡豊城詰下段の脇の堀切と井戸跡
そして、つい最近では、史跡の保存管理計画書の策定のための測量調査によって、岡豊城の遺構の驚くべき内容が明らかにされ、再度脚光を浴びることになりました。
社団法人南国市観光協会パンフレットより南国市観光協会パンフ「岡豊城散策絵図」より引用
それは、今まで人跡踏査による肉眼観察では確認し得なかった、微妙な斜面の起伏が、赤外線写真撮影による測量図によって明らかにされ、30数か所にとどまっていた畝状連続竪堀の数が、実は岡豊城の斜面全体に無数に施されていて、把握できただけでも130数か所に上る、ということが報告されたのです。

編集_94詰ノ段礎石建物詰ノ段礎石建物
これはいったい何を意味しているのでしょうか?
一乗谷や長野城の規模に到達して、全国でも畝状竪堀を数多く有する山城がもう一カ所増えたことでしょうか。
それはそれで意味のある事実ですが、それ以上に重要なことは、発掘調査の成果とも兼ね合わせて岡豊城の築城の変遷が、具体的に、確実に3段階以上の過程を踏んでいることが言えるようになったことでしょうか。

編集_96詰ノ段での館長の説明に聴き入る詰ノ段にて元館長さんの話に聴き入る
その第一段階はもっとも初期の段階で、尾根線上にいくつかの曲輪を連続的に並べて詰城としての形態を整えた時期、第2段階は一気に130余カ所にも増えた畝状竪堀を、斜面の至るところに切り刻んで城の防禦性を極力高めた時期、そして第3段階は詰ノ段から四ノ段に至る主要曲輪の部分に瓦を載せた礎石建物を築造して、より、城郭としての機能性や権威を高めた時期、という流れがはっきり見えてきたことでしょう。

編集_97四ノ段にて岡豊城四ノ段にて
このなかで第2段階の時期は、長宗我部氏が一旦は岡豊城から追放され、一時滅亡するのですが、守護一条氏をたより父国親の代に長宗我部家を再興し、元親の代になって周辺の国衆を次々と降伏させて、ついには主家である一条家をも豊後に追放して土佐一国を平定するまでの時期とみることができ、山城の防禦性を最も高めた時期と理解することができます。

第3段階は、発掘調査担当者もすでに指摘しているのですが、大高坂城、あるいは浦土城への移転の前段階、信長・秀吉との決戦を前にした城整備の時期と考えることができます。調査担当者は石垣の使用、瓦を葺いた礎石建物の建築などから織豊勢力の影響が入った段階、というように表現しています。

一体に、畝状竪堀のもつ意味は、どこそこの大名がとった築城技法のひとつであるというような次元のものではなく、その時々の戦いにおける優れて戦術的な山城構築のバリエーションのひとつであった、と言えるでしょう。

編集_98四ノ段下の空堀(横堀)岡豊城四ノ段下の空堀(横堀)
そうした山城構築におけるダイナミズムを垣間見せてくれたものが、岡豊城の赤外線写真測量による成果だったと思うのです。

城歩きマンはそんなことを夢想しながら、3度目の岡豊城に足を踏み入れました。
しかし、雨はどんどん降ってきて、降りやむ気配がありません。案内の元館長さんの声も雨音にかき消されて、よく分かりません。

見学は山頂部の詰ノ段から石垣積みのある四ノ段、その下の虎口まで行って、引き返すことに…。ムムム、残念!?

バスを降りた先の資料館まで戻って、館内の展示を見学することにしました。館内の案内は、今年の夏に、敦賀のプラザ萬象で講義をしていただいた学芸課長の野本さんが引き受けてくれました。
今回も弁舌さわやかな説明が聴けて、長宗我部氏の戦いぶりが手に取るように分かり大変有り難く思いました。

もう一つ、岡豊城での思い出が増えました。
元親公の銅像の前で、参加者の記念写真を撮る、というので資料館の前に集合!という合図があり、城歩きマンも急いで銅像の前に向った時、バスから持って出た折り畳み傘を忘れてしまいました。

岡豊城を出て、高松へ向かうバスの中でそのことに気付き、どうしようか?もう20年も使った傘だから、資料館に頼んで送り返してもらうほどでもないか、いや、思い出のある傘だから、やはり送り返してもらうか…?
いろいろ迷っているうちに時間が経ってしまい、とうとう連絡もしないで福井に帰ってきましたが、やはり気がかり。思い切って電話を…。

岡豊城資料館ではちゃんと忘れ物傘のことを把握していて、即座に対応してくれました。内心、古ぼけた傘ぐらいのことで――と、とても恐縮していたのですが、資料館の受付の方にはよくあることらしく、丁寧に対応をしていただき気持ちが楽になりました。

資料館受付の皆様、ありがとうございました。
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