三重県桑名市桑名城跡をあるく

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2月21,22日(日、月)三重県北部、北勢地方の城めぐりをしました。
最初の訪問地は長島城跡で、その次にこの桑名城跡を訪れました。長島城からは車で約10分ほどの距離です。

揖斐川のほとり、当時は河口にあっていくつもの中州が点在していたところですが、今は頑丈な護岸工事がなされ、川に面した静かな城址といったおもむきでした。
城跡は「九華公園」として整備されています。その川側に近いところに駐車場があって、車をそこに停めて昼食をとりました。

桑名城は歴史に3度登場するそうです。
一回目は伊勢長島の一向一揆で、桑名城の前身であった「東城」から城主伊藤氏が出陣し、討死しています。この戦いで勝利した信長は桑名の地を家臣の滝川一益に与えて、守らせます。

8伊勢の城めぐりの旅(本多忠勝像)
二度目の登場は、中興の祖、とでもいうべき本多忠勝が入封された時です。関ケ原の戦いの後、家康が本多忠勝をこの地に配置し、大坂への守りとします。
忠勝は8ヶ年を費やして桑名城を築城、完成させたと言います。公園の入口にはこの本多忠勝の銅像が鎮座しています。

7伊勢の城めぐりの旅(幡龍櫓)蟠龍櫓を西から望む
城跡はこの南に二ノ丸、三ノ丸とつづき、内堀がめぐっています。
城の北側は三ノ丸外濠の水門にあたる場所に「蟠龍櫓」が建っています。
この櫓跡は、国道1号線から桑名城へ向かう道筋からはっきりと確認でき、この城跡ではシンボルのような存在になっているようです。

三度目の歴史への登場は、言わずと知れた幕末のときです。
京都にあって、尊王攘夷派などからその治安を守るため、会津藩とともに京都所司代を歴任しながら佐幕派として活動しますが、明治維新以後は維新政府のために城を明け渡すことになり、城は廃城となります。本丸の片隅には、戊辰戦争で討死した藩士の忠魂碑が建てられています。

6伊勢の城めぐりの旅(桑名城二ノ丸)吉ノ丸から二ノ丸を望む
三重県では松坂城や亀山城、津城などに比べてあまり目立った存在ではありませんが、歴史をじっくりひも解いてみると、実に興味深い内容があったのだと気づかされました。
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COMMENT 2

midorishako  2016, 03. 06 [Sun] 11:04

よくわかった

桑名城の歴史が良く分かりました。
ありがとうございました。

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城歩きマン  2016, 03. 07 [Mon] 07:28

No title

midorishakoさん、コメントありがとうございます。

桑名城は長島城のすぐ近くにあって、とても因縁深い土地柄だったようですね。やはり、何度も言うようですが、聞くと見るとでは印象が大違いだということがよく分かった旅でした。

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