三重県四日市市保々西城跡の見学

12伊勢の城めぐりの旅(保々西城遠景)保々西城跡遠望(東から)
平成28年2月21,22日(日、月)の二日間三重県の城めぐりを敢行しました。

主として北伊勢地方で、今回は四日市市にある保々西城跡をご紹介します。この城は前回の大井田城でも触れましたが、さほど高くない丘陵の上に3,40m四方の土塁で仕切られた方形区画群が並んで遺存している、まことに珍しい遺構群です。

43伊勢の城めぐりの旅(保々西城説明板)同城跡の入口にある説明板
区画の数は12ヶ所以上。図の右端が主郭とみられる遺構で、南、東、北の三方を深く、幅の広いハッキリした堀と土塁で囲っています。
現状はヒノキ林で、方形区画群ではさらに下草として笹が生い茂っていて、足元の視界を遮っています。それでも、実地に歩いているとこの特異な遺構群の雰囲気が把握されて、勉強になりました。

13伊勢の城めぐりの旅(保々西城入口)
入口は水田の水路にかかった丸太橋を渡った奥にあります。

14伊勢の城めぐりの旅(保々西城説明板)
この城跡も築城主のことははっきりせず、「地誌類」では北勢地方の国人朝倉氏の城とされ、永禄年間に信長に攻められて滅んだと言います。偶然というにはあまりにも皮肉な同名の武将が…。

前回紹介した大井田城とは南に約3.5㎞離れた位置にあります。立地や見た目の形状が極めてよく似ていることから、何らかの関連があるものと思われますが、それ以上のことは何とも…。

15伊勢の城めぐりの旅(保々西城主郭)
主郭部の手前にある城跡の道標と、その空堀跡。堀は幅約15m、深さは5mといいます。三重県北部の中世城館の中では最大級を誇ると言われます。実際、城歩きマンもこの目で見て、びっくりするほど深く、切れ落ちていました。

16伊勢の城めぐりの旅(保々西城主郭部土橋)
主郭部の入口の土橋。これも良好に遺存しており、奥には両側土塁の平虎口が配置されていますが、同曲輪の東面では内枡形状の虎口構造となった入口があります。この主郭部は50m四方と一番大きな曲輪です。丘陵の南端部に配置され、北側に方形区画群が並んで配置されています。

この保々西城跡の真東の方角、1.6㎞の位置に市場城跡があり、これは保々西城と極めてよく似た城跡なので、保々西城の前身だと考えられているものです。
これも見学する予定でしたが、夕刻が迫っていたのと、十分な下調べをしていなかったので、場所を間違えて城跡に辿りつけませんでした。暗くなってしまうと万事休す。たまにはこんなこともあります…。

マ、そんなことはどうでもよいのですが、遺構の遺り具合からは市場城から保々西城へという順序が考えられるそうです。そしてこの保々西城のかたちが概ね完成された姿だとされています。

それにしてこんな城館跡が何故作られたのか、謎は深まります――。
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