講演会「近江浅井氏と越前朝倉氏」参加記

編集_IMG_20160229_0001_NEW滋賀県教育委員会発行パンフより
2月28日(日)福井市アオッサ8階の県民大ホールにて、標記の講演会がありましたので拝聴することにしました。

この催しは滋賀県教育委員会が歴史遺産活用事業の一環として実施しているもので、過去にも何ヶ所かで実績があるそうです。今回は福井県との連携による魅力発信講座と銘打っての二本立て歴史講座になります。

午後1時30分からの開始ということで、その少し前に会場に入ったのですが、200人ほどが入れる会場にほぼ半分の120人が詰めかけて、熱心に話を聴いていました。
ただ、残念に思ったのは、そのうちの三分の一ほどはなんと地元からの「観光ボランテイア」の人たちで占められていたことで、真っ赤なウインドブレーカーを着た応援団の人たちが会場の真ん中ほどに陣取って、とても目立っていたようです。福井県の人はその横でおとなしく…。

奥琵琶湖観光協会パンフ奥琵琶湖観光協会パンフより
滋賀県、特にこの北近江の小谷城を支援するボランテイア活動は、ずいぶんと昔から行われているようで、朝倉氏遺跡での「朝倉まつり」や、福井市の「時代行列」などにもレギュラーとして参加しているほどです。もちろんこちらからも小谷城のイベント等には参加させてもらっていますが、やはり、熱の入れ方には温度差があるように思えてなりません。

マ、それはともかく、地元朝倉氏遺跡からは資料館の佐藤圭さんが、滋賀県からは県の文化財保護課に勤務する北村さんがそれぞれ小谷城や越前朝倉氏との関係について講演しました。
朝倉氏遺跡資料館の佐藤さんは、最近明らかになった文書資料などを紹介しながら、朝倉氏と浅井氏、信長との関係について興味ある話を聴かせていただきました。
元亀年間(1570~73)の信長と浅井、朝倉連合軍との戦いは壮絶を極めたものになりますが、この間の戦いは朝倉氏が優勢に進めていたこと、甲斐の武田信玄や大坂の本願寺などとの連携のもとでの戦いだったことなどを、文書資料を見ながら、丁寧に説明していただきました。

二番目の北村さんの話は、浅井氏が築いた小谷城の城の構造から、浅井氏の北近江での支配権力の様子を知ることができるとし、特に昭和45年から実施された整備事業の一環としての発掘調査で小谷城の様子がいろいろと分かってきたこと、曲輪群が大堀切を境に南北に二分され、北は守護であった京極氏や寺院などの関連曲輪群、南半分は浅井氏の実質的な居城であったことなどを分かりやすく、順序立てて説明されていました。

一般の人に向けて小谷城の基礎的な理解のためにまとめられた内容ですが、もう少し欲を言えば、小谷城は天正元年(1573)に信長によって焼き滅ぼされ、落城しますが、秀吉が長浜城に入る天正3年までこの地にいたことが分かっています。その間のことを考慮に入れた考察が行われるかな、と若干期待していたのですが、その点についてはノーコメントでした。

いずれにしましても、来月19日(土)には現地小谷城の見学会が行われます。その日を楽しみに待ちたいと思います。
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