三重県亀山市峯城跡の踏査

23伊勢の城めぐりの旅(峯城跡)亀山市川崎町峯城跡遠景(南から)
三重県北勢の城館めぐりの旅、2日目、亀山市の亀山城跡を訪ねた後、鈴鹿の関跡のある関町を訪れ、関氏が築いたという「正法寺山荘」を見る予定でしたが、都合でオミットしました。

その代わり、峯城跡のほうで時間をかけて歩くことにしました。
峯城とは亀山市川崎町森にある山城で、書き出しのところでも述べたように関氏の一族で関盛忠の五男、峰政実の築城に始まり、6代目の盛祐のとき、長島の一揆に出陣し、討死して没落します。その後、岡本良勝の領するところとなりますが、天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いの前哨戦とも言われる戦いで、滝川一益と秀吉とが争い、一旦は滝川氏の手に落ちます。

24伊勢の城めぐりの旅(峯城跡入口)峯城跡入口の説明板
その後、峯城は北伊勢に侵攻した秀吉の軍勢により包囲され、壮絶な籠城戦の末、兵糧が尽きて城を守っていた滝川益重は城を明け渡します。その後織田信雄の家臣であった佐久間正勝が入城します。
翌年の天正12年(1584)には小牧・長久手の戦いが起こりますが、その前哨戦として秀吉は対立する信雄の峯城を蒲生氏郷、関一政らに攻撃させ、落城させています。天正18年(1590)、峯城の城主岡本良勝が亀山城に移り、峯城は廃城になったと言われていますが、一説には慶長期まで存続したとも言われています。

41峯城跡地形図峯城跡地形図(『三重の山城ベスト50を歩く』に掲載された測量図)を一部改変して使用しました
このように、峯城は戦国時代末に、伊勢地方をめぐる合戦に度々登場する重要な拠点的城郭であったわけですが、地理的にも鈴鹿越えで甲賀郡土山に至るルートのもう一方の安楽越えルートを扼する位置にあって、更には関ケ原へ通じる巡検道との交点という要の位置でもあったようです。

知人の車に同乗し、亀山市街から県道302号を通って峯城へ向かいました。東名阪自動車道の亀山ジャンクションのすぐ東側の丘陵先端部が峰城跡になります。

25伊勢の城めぐりの旅(峯城跡天守台)峯城跡天守台
標高83mの低丘陵で、水田との比高差はおよそ20m程でしょうか、城跡の説明板のあるところから裾伝いに谷奥に向かって歩いていきますと、中ほどに主郭に向かう坂道が出てきて、矢印のとおりに上ります。間もなく、主郭部(本丸)のある入り口に着きます。両側に土塁があり、枡形を構成する空間を抜けると広い平坦地に出ます。その西側は土塁が「コの字」形にめぐっており、中ほどには天守台跡と称する高台があります。

26伊勢の城めぐりの旅(峯城跡本丸土塁)峯城跡本丸土塁
いずれも遺構の遺存状態は大変良好で、くっきりと残っていましたが、周りは整備後に樹木や雑木が生い茂ってきて、平坦地も杉、ヒノキの林があたりの見通しを悪くしています。遺跡全体をまんべんに歩こうとすると、少しきついかなと思われる状態でした。
しかしながら、先にも書いたように峯城は戦国時代の北伊勢を彩る重要な城郭のひとつでもあり、これほど遺存状態のよい山城が活用されずに埋もれてしまうのはとても残念です。地元には保存会があって、保存管理されているようですので是非にでも積極的な利・活用の手段を講じられることを願うばかりです。
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