三重県北勢の城館めぐりの旅・神戸(かんべ)城跡

三重県北勢の城館めぐりの旅・神戸(かんべ)城跡

2月21,22日(日・月)に実施した三重県北勢の城館めぐりの旅もこれが最後の城になりました。

34伊勢の城めぐりの旅(神戸城跡入口説明板)城跡入口にある説明板
津城跡からは国道23号線に沿って北上し、約20㎞進んだ位置で鈴鹿市神戸本多町にありました。付近は閑静な住宅街になっており、二ノ丸部分には三重県立神戸高校の校舎が建っていて、とても落ち着いた雰囲気の、こじんまりとした城跡でした。

車で向かいましたが、ナビの示すとおりに城跡に近づいても住宅街ということで駐車場も見つからず、回りを何回もグルグルと回りましたが、車の置き場所に困り、結局鈴鹿市役所の駐車場まで戻って、そこから歩いて城跡に向かった次第です。
皮肉なもので歩いて城跡へ行くと、本丸手前の入口そばにちゃんと駐車場があるではありませんか…。

35伊勢の城めぐりの旅(神戸城跡本丸)神戸城跡本丸(南から)
マ、それはともかく、入口にあった説明板を見た後、本丸天守台や、石垣、内堀、土塁などを見て回りました。
神戸城は国人領主神戸氏の居城であったが、天文年間にこの南にあった沢城から移転して築城されたと言います。神戸氏は伊勢国守護北畠氏と姻戚関係にありましたが、永禄11年(1568)の織田信長の侵攻により信長の三男信孝を養子に入れて神戸城主としています。

36伊勢の城めぐりの旅(神戸城跡天守台石垣)神戸城跡本丸天守台石垣(西南隅から)
天正年間に入って、神戸城は信孝の時期に城郭としての普請が本格的に進められ、五重の天守も立てられたと言います。信孝は天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いに加担したため信雄らに攻められて、尾張大御堂寺で自刃したと言います。関ヶ原の戦い以後には一柳氏が、江戸期に入ってからは石川氏、本多氏が続き、明治維新を迎えています。

37伊勢の城めぐりの旅(神戸城跡本丸西側内堀)神戸城跡本丸土塁・内堀(西側から)
神戸城本丸は神辺高校敷地の北端部沿いの道から西に向かって進んだところにありました。周辺は神辺城跡公園となっていますが、小さな公園のため、それと場所を把握しておかないとなかなか辿りつけないような場所です。
内堀部分も城下絵図などで見る限り、大部分の範囲が埋め立てられて、はば狭になっています。本丸跡の中央部に天守台跡が残っています。未加工の河原石を積んだ、いわゆる「野面積み」の石垣で建物は残っていませんが、一説には桑城跡の神戸櫓がこの天守建物を移築したものであったとも言われています。

38伊勢の城めぐりの旅(神戸城跡本丸西側内堀2)神戸城跡本丸土塁・内堀(西側から2)
本丸の周囲は市民公園として整備され、樹木が多く植えられています。内堀は狭く埋められていますが、天守台石垣や土塁と併せて外から見ると、何とか当時の風情を想像するよすがになりそうでした。

全体的に駆け足で巡ってきた伊勢北勢地方の城館めぐりでしたが、とても収穫の多い旅になりました。
最初に廻った揖斐川中州の長島城跡は、やはり現地に立たないと実感できない中州の広さをこの目で確かめることが出来たこと、そして縄張図だけで見ていた大井田城、保々西城などの方形土塁区画の居館跡を実地に目の当たりにできたこと、これは城歩きマンにとって、大変貴重な経験になりました。
言い古された言葉ですが、「百聞は一見に如かず」という言葉を改めて深く感じ入っている城歩きマンでした。
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