美浜町佐田「駆倉山砦跡」の踏査

美浜町佐田「駆倉山砦跡」の踏査

駆倉山砦跡位置図駆倉山砦跡位置図(ヤフー地図より引用し、一部を改変して使用しました。)
このところ暖かい日が続いていますが、山の樹木が芽吹いてくる前に、という気持ちに急き立てられて、平成28年3月12日(土)美浜町佐田美浜東バイパスの佐田トンネル入り口丘上にある駆倉山砦跡(標高212m)を踏査しました。

これは、昨年10月11日~15日にかけて実施した、美浜町「中山の付城」関連踏査の続編です。

1美浜町佐田織田神社織田(おりた)神社(この神社の背後の丘陵が駆倉山砦跡)
朝倉氏が若狭武田攻めのために築城したと伝わる中山の付城や砦跡をどうしても踏査したいという気持ちから、昨年10月に数ヶ所回ったのですが、全部回り切れていませんでした。そこで今回改めて、未踏査になっていた駆倉山砦跡と土井山砦跡を踏査した次第です。

2駈倉山砦跡北側虎口駆倉山砦跡北側虎口
3駈倉山砦跡北面土塁駆倉山砦跡北面土塁
駆倉山砦跡は美浜町佐田今市集落北側丘陵尾根線上に所在します(位置図参照)。丘陵の南側裾部には織田(おりた)神社が鎮座しています。登城道ははっきりしたものは見つかりませんでしたが、この織田神社参道をすすんで、美浜バイパスのトンネル口の上を歩き、JR小浜線の美浜トンネル手前を横切って、尾根線に向かって斜面をよじ登りました。

4駈倉山砦跡東側虎口駆倉山砦跡東側虎口(中央凹みが入口部)
6駈倉山砦跡東側虎口(東端より)駆倉山砦跡東虎口外側・腰曲輪
折りよく、けものみちに似た山径があって、それに沿いながらゆっくり上って行きました。そして20分も歩いたでしょうか、緩やかな尾根線に出て、そこは幅も広く最近伐採した直後らしく、切り倒された樹木がアチコチに散乱してはいましたが、構わず、それを乗り越えて進むとようやく駆倉山砦跡に到着しました。

8駈倉山砦跡南面土塁駆倉山砦跡南面土塁
10駈倉山砦跡内部平坦面駆倉山砦跡内部平坦面(主郭)
ちょうど北側虎口の手前にあたります。はっきりした外枡形の虎口になっており、典型的なユの字形の土塁が設えられていました。春先でもあり、下草類は全くなく、見通しは大変良好でした。
北側の土塁もきれいに遺存しており、外側一段下の腰曲輪も極めて良好に確認でき、歩いていくうちに「これは良いものに出会ったなァ」とワクワクしてきました。東側には二重になった虎口がこれもはっきり残っていました。入口付近は空堀として深くえぐっており、その先は腰曲輪として主郭部を囲うように巡っています。主郭の内側は土塁下の部分で浅い溝状のへこみが土塁に沿って確認されました。内側の堀かなとも思いますが、土塁を構築した際の堀跡のようにも見え、形状はダラダラとした感じに見えました。

11駈倉山砦跡北側腰曲輪駆倉山砦跡北面土塁と腰曲輪
東側の虎口から南に回り込んで、西側に出ました。
この付近では比較的広い「出曲輪」的な平坦地が数ヶ所確認できました。それは特に西側斜面において顕著です。土塁は西側から北側の虎口に向かって延びていました。曲輪内部は全くフラットな感じではなく、東西に二段に分かれて、なだらかな起伏が確認されました。

12駈倉山砦跡より若狭湾を望む駆倉山砦跡より若狭湾を望む
北側虎口の手前でもそうでしたが、この砦跡は、単なる砦ではなく、伏兵がかなりの数、駐屯できる空間が確保されていたようで、北田にある「狩倉山砦」と比較しても、山城的な条件がより整っているように感じられました。虎口の構造も「狩倉山砦跡」の平虎口に対して、はっきりした外枡形虎口となっており、土塁が二重になっていることとも併せて、駆倉山砦跡は同者による築城とは言い切れない城砦ではないかと感じました。
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