米原市上平寺城跡の見学(2)

米原市上平寺城跡の見学(2)

028登城口(左)伊吹神社脇の登城口
先日のブログにアップしたばかりですが、平成28年3月27日(日)若越城の会の見学会で米原市の上平寺城跡に登城しました。総勢16名で、暖かい春の陽射しを受けながら、久々に山登り。

フウフウ言いながらのヒルクライム。一気にとはいかず、少し上っては休んで、少し上っては休んで、の繰り返し。他の会員さんたちに大きく遅れを取ってしまい、最後尾を拝する始末。しかし、不思議なことに比高差380mもあってとてもハードな登りでしたが、ギブアップはせずに済みました。

033登城口案内板別名桐ヶ城と書かれた上平寺城跡の登城口案内板
毎日、九頭竜川の河川敷公園をウオーキングしているお蔭だと思います。持続力がついていて、どうにか、最後まで皆さんに付いていくことが出来ました。
マ、そんなことはともかく、午前10時30分頃登城口の矢印を横に見ながら、いよいよ登山開始。まっすぐの山道ではなく、いくぶんジグザグに曲がりくねっているのは、登るのに変化が出来て、かえって体にもリズムが生まれて良いのではないか、とさえ思います。
なんだかんだ言い合っているうちに、ようやく三ノ丸、と言われる最初の曲輪の直ぐ下にある放射状の竪堀群のところに出ました。
036三ノ丸下竪堀通称三ノ丸下にある放射状竪堀群のひとつ
一見して感じたのですが、竪堀の規模が一乗谷などの畝状竪堀とは違う、ということでした。放射状に入っていることも一つ、区別の材料になりますが、何よりも、太く夥しく長い堀が斜面を真っすぐに、下に延びていく様子は圧巻でした。
周りの下草もきれいに刈り取られていて、竪堀の穿たれている様子がとてもよく見通せて、きれいでした。

放射状竪堀と言えば、九州の福岡県直方市の鷹取山城が昔から知られています。こちらも、太くて長い竪堀が放射状にめぐっているのが特徴です。

あるいは兵庫県但馬の天空の城、竹田城にも太くて長い竪堀が見学道路の途中にみえてきて、すごい竪堀だなァ、と感動したものですが、この時期に、こうした竪堀の築城方法が普遍的に用いられていることが視覚的にも納得させられて、山登りの辛さを忘れさせてくれる一時になりました。
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COMMENT 2

闘将!刑部  2016, 04. 04 [Mon] 01:42

No title

そうですよね。一乗谷と比べると造り方は違うように思います。
竪掘りが放射線状にそれも長い堀となっていますよね。
織田軍と対峙するために、長比城と苅安(上平寺)城の境目の城として朝倉氏が改修したということが伝えられていますが、この竪掘り群は朝倉氏が改修されたものかどうかは疑問ですね。
それにしても見ごたえある竪掘りでした。(ついつい下へ下りて行ってしまう気持ちになる。)

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城歩きマン  2016, 04. 04 [Mon] 08:11

No title

闘将!刑部さん、コメントありがとうございます。

上平寺城の竪堀群、本当に朝倉氏が関わったかどうか、城歩きマンも疑問に思います。

それにしてもすごい竪堀の規模ですね。小谷城にも大嶽城や本丸付近の西側斜面にある竪堀によく似ています。
浅井氏が上平寺城を改修しているのは確かだろうと思います…。

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