米原市上平寺城跡の見学(3)

米原市上平寺城跡の見学(3)

042三ノ丸中央コの字土塁上平寺城跡通称三ノ丸のコの字形土塁(南から)
米原市上平寺城跡の見学(3回目)。

登城道を登って最初に辿りつくのが、通称三ノ丸と呼ばれる平坦地です。上平寺城跡の中で一番大きな曲輪になるそうで、その北側にある、一段高い曲輪の二ノ丸戸とは大きな堀切で遮断されています。

044二ノ丸手前堀切二ノ丸手前の堀切(南側から)
この曲輪は前回も書きましたが、先端の南側斜面に大きな竪堀が放射状に11条が刻まれています。曲輪は南北に約100mの長さがあります。曲輪の中ほどに、登城道に接するように「コの字形」の土塁がめぐっている小曲輪が見られます。東側の土塁が無く、東に開いた形となっています。こうした作り方は、一乗谷城の千畳敷となりにある観音屋敷や赤渕神社跡の土塁の囲い方と酷似しています。

048二ノ丸虎口(南から)二ノ丸虎口、右手奥が二の丸曲輪
この三ノ丸と北に隣り合ってならんでいる二ノ丸の虎口は、案内に立った米原市のT さんも協調していましたが、複雑な枡形虎口の構造になっていて、堀切を渡って進むと、まず両側に土塁があって、その突き当たりにも二ノ丸の土塁と直角に取り付く土塁があり、二ノ丸の入口へは右に折れて入る構造になっています。

このときに、敵兵は二ノ丸の入口の両側から横矢を受ける格好になり、更に入口の前でも左側から横矢を受けるというように、念入りの防御態勢をとっています。上平寺城の構えは、一にこの二ノ丸入口の虎口構造によって特徴を余すところなく代表しているものと思われます。

案内のお話では、この二ノ丸を境にして、奥の方は浅井氏が入ってからの造りであり、手前側には京極氏が最初に築城した時の造作が遺存しているように受けとれるそうです。
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COMMENT 4

怜の父  2016, 04. 03 [Sun] 09:44

やはり上平寺城の二の丸より上は朝倉氏の技術協力があったのでしょうか 
越前の城は土塁が多く、北近江の城は土塁が低い(土塁が殆どない)ように思えてしまいます
上平寺城の堀切には偶然でしょうが障子堀のように見える箇所が3ヶ所程見えました
( ・ε・)
もしかしたら関東の影響?だとしたら面白いですね

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城歩きマン  2016, 04. 03 [Sun] 16:48

No title

怜の父さん、コメントありがとうございます。

するどいですね、障子堀を見つけていたとは!
埋まりやすいので、なかなか見つけにくいのです。ようく見ないと分からない。

上平寺城には確かに障子堀がありました。弥高寺跡の後ろの大堀切にもあったようですね。
実は福井の平泉寺坊院跡の外堀とされる堀跡にも障子堀が確認されていますし、同じ勝山市の西光寺城跡の堀切にもあります。

いろんな遺構があって、山城はますます面白いことになりそうです。

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闘将!刑部  2016, 04. 04 [Mon] 01:53

No title

「コの字形」の土塁は、一乗谷の曲輪を思い起こしますよね。
東側に虎口のように空いているので、本来の導線はこちら側からなのかなと、個人的に思っています。
そして、上平寺城の大注目の1つの枡形虎口。
守り手から見ると、両手をガッツポーズしてちょいと左フックをしようかなといったような形。
土塁の前には堀で切っておいて中央口からしか入れないようにし、いざ入ろうとしても3方向からの狙い撃ち。こりゃ~たまりませんね。
そして、奥に進むと右に折れて…どっひゃーん。おそらく門があったでしょうから、足止めされて…。
憎いね~○○○○ (某CMのフレーズ風に)
頭の中で門が建ち塀が巡り回されている中に兵が潜んでいる状況を頭で空想してここを通過すると、楽しいですね。

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城歩きマン  2016, 04. 06 [Wed] 09:01

No title

闘将!刑部さん、コメントありがとうございます。

二ノ丸の入口にある枡形虎口は素晴らしいですね。虎口の土塁もしっかりしていて、一見して三ノ丸の小さな土塁とは別物だと分かります。

毎年地元で下草狩りをしているとのこと、そのお蔭で遺構の様子が手に取るように分かり、素晴らしい目の保養になりました。

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