杉津・河野浦城砦群の踏査(2)

004岡崎山砦跡(海側から)岡崎山剣神社(砂浜から)
岡崎山は敦賀市杉津集落の北西、海側に突き出た岡崎冠岩のある小さな山塊です。
その北端山裾に剣神社があり、ちょうど季節柄、桜が満開でした。当然ですが、砂浜はまだ春先でしたので、人っ気もなく、閑散として静かでした。

005岡崎山砦跡剣神社岡崎山剣神社
神社の裏側に幅1.5mほどの道がありましたので、ここから登城することにしました。少し登ると、神社の背後にお堂があり、そこを迂回して海側の斜面に出ました。
新しい時期の削平地があって、開けた感じになっていました。その先がイケマセンでした。まったく手入れがされていないようで、鬱蒼とした藪漕ぎでした。無理して少し進んだのですが、4,50mでギブアップし、一旦谷に下りて、もう一度尾根をめざして歩きました。

006岡崎山砦跡石垣斜面を養生、成形した石垣
そんなこんなで、やっとこ尾根に出、後は道なき道を何とか南東側の麓まで辿りつくことが出来ました。

007岡崎山砦跡竪堀岡崎山砦跡竪堀
途中にいくつかの平坦地や、竪堀と思しき堀、そして石垣造りの斜面が確認できましたが、最初から終わりまでの道筋で一つも堀切らしい遺構には出会いませんでした。
土塁、もしくは土塁状の高まりもなく、確認できたのは、新しい時期のいくつかの削平地らしき平坦面だけでした。

008岡崎山砦跡石垣3岡崎山砦跡石垣
『福井県の地名』などの書物によると、天和2年(1682)小浜藩主酒井忠直が死去した後に、敦賀郡杉津、近江高島郡の合計一万石を分与して、子息の右京亮忠稠に与え、鞠山藩が成立しました。あまり耳慣れない藩名ですが、幕末のころには嘉永4年(1851)杉津の東浦に砲台場を4カ所設置したと言われます。また実際に鞠山藩陣屋のある鞠山浦には大砲を二門設置していました。

平坦地にいくつかの石垣は、恐らくこの時の砲台設置のためのものか、とも思われますが、なにせ辺り一面薮だらけで、見通しが利かず詳細は不明です。断言できません。ただ、南側に回り込んだ尾根線の一部で竪堀と思しき遺構が2条確認できました。
今回の踏査の成果らしい成果です。

しかし、天正3年(1575)の一揆勢と信長勢との戦いの舞台となった岡崎山砦の様子は、ついによく分からず終いでした。
地元の人の話によると、バブルのころリゾート開発のために山に遊歩道をつくったり、平場をつくったりしたけれど、バブルが崩壊したので、その後はホッタラカシになったとのことでした。
確かに登城道(見学道が正解か)らしい道は埋もれてしまいましたが、その時に開発した道かなとも思います。いくつかの平坦地もそのように思うと納得できる、如何にも不自然な平坦地でした…。
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