杉津・河野浦城砦群の踏査(3)

杉津・河野浦城砦群の踏査(3)

009ウツトモ山砦跡遠望(南から)ウツトモ山砦跡遠望(南から)
平成28年4月5,6日(火、水)の2日間、敦賀市杉津、横浜、阿曽の丘陵上に所在するウットモ砦跡、岡崎山砦跡、杉津・河野丸砦跡を踏査しました。

1日目(5日)は岡崎山砦跡の踏査が、少し早めに終了したこともあり、ついでに元比田にあるウツトモ山砦も踏査することにしました。

009ウットモ山砦跡位置図ウツトモ山砦跡位置図(ヤフー地図を一部改変して引用しました)
岡崎山からは約2.5㎞北にあります。『日本城郭大系』の福井県「ウツトモ山砦」では「若林長門守」の出城という文献上からの城主名(推定)を記載しています。

010岡崎山砦遠望(ウツトモ山から)ウツトモ山砦跡から岡崎山砦跡を望む
若林長門守は、『朝倉始末記』では重要な越前への大手口にあたる杉津口を守るため、府中表の坊主衆、堀江衆らとともに立て籠もっていましたが、堀江衆の寝返りのために河野丸砦、杉津砦があえなく落城した、と『朝倉始末記』は綴っています。
杉津・河野丸砦については、後で詳しく述べるつもりですが、ウツトモ山砦もこうした信長と一揆勢との攻防に登場する城砦群の一つであったことは確かなようです。

林道が集落の北のはずれからウツトモ山のほうに向かって通っているのですが、現地に行ってみると落石、土砂崩れのために、一時的に通行禁止の立て看板が立てられて、入ることが出来ません。
城砦の近くまで行って、車を停めて歩くことにしました。
堀切が並んでいるという尾根線をめざして谷部の山道を登りましたが、遺構が出てくる予定の場所に着いても、山城らしい遺構には出会えませんでした。

城歩きマンの見落としかな、とも思いましたが、戻りの道筋にも遺構らしきものは見当りません。場所が全く外れている可能性もあり、再度チャレンジする、ということで日も暮れてきましたので下りることにしました。
ヤンヌルかな、ウツトモ山砦跡は確認できませんでした。
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COMMENT 4

怜の父  2016, 04. 14 [Thu] 21:43

羨ましいですね(^.^)
河野側の砦群はまだ行った事がないので、非常に興味深いですね。
北陸の城跡関連のHPを訪問したときに、杉津の岡崎山砦を調べてた記事があったのですが、それらしき遺構は見当たらないとの事でした。開発によって破壊されたか、兵の駐屯地ではないかとの意見でしたが、砦を築くには絶好の立地なので、砦はあったと思います。昔、磯釣り用の渡船で岡崎の海側の崖に取りついた事はありますが、海からは攻めれないですね。
いつかは甲楽城から馬借街道を通って府中に入りたいものです。
馬借街道には城塞的なものは見えないように思えますが‥‥

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城歩きマン  2016, 04. 15 [Fri] 06:28

No title

怜の父さん、コメントありがとうございます。

岡崎山はもう一度再踏査する必要があります。
その理由は、怜の父さんがご指摘のとおりです。必ず、何か残っていると思うのですが…。

それと馬借街道、こちらは越前市安戸町という集落の奥に「安戸の天城」という場所があり、そこに一度登山しました。むかし、山岳寺院があったとか…。

興味があおりなら、ご案内しますよ。

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怜の父  2016, 04. 15 [Fri] 23:19

実は馬借街道について殆ど知らないのですが、こんな大事な間道を抑えないというのも不思議に思ってました。
越前の一揆勢は織田の流言にまんまとはまり、三国近辺の防御を堅め、この間道の防御を棄てたのかと思ってました。
馬借街道に興味のある友達もいますので、案内願えますでしょうか?
皆さんお誘いして団体で登ってみたいですね(^^)

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城歩きマン  2016, 04. 20 [Wed] 08:23

No title

怜の父さん、コメントありがとうございます。

府中から河野浦への馬借街道は、いくつかのコースがあったと言います。

そのうちの一つに白山町菖蒲谷から糠漁港へ降りるコースがありました。
安戸の天城はその街道の要衝を占める位置にあります。

安戸の天城についてはおととしの1月17日、30日、そして3月29日のブログでアップしています。ご参考までにお読みいただければ幸いです。

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