諏訪市高島城跡の見学

22高島城パンフ2016年4月高島城パンフレット(諏訪市発行)
平成28年4月中旬、信州と富士山めぐりの旅に出ました。
長野の善光寺を皮切りに、真田太平記で知られる上田市の真田氏関連史跡を歩き、今日は雨の降りしきる悪天候の中を、松本城を見学しました。

23高島城跡天守(南から)2016年4月高島城跡天守(南から)
最初の予定ではこの日松本城を見た後、同じ松本市にある浮世絵博物館をみて、更に諏訪湖のほとりにある諏訪大社、そして高島城、現代美術をあつめた北澤美術館といっぱい予定を組んでいたのですが、雨で計画はすっかり狂ってしまい、とても予定を消化することは出来ません。

22の2諏訪護国神社2016年4月城内にある諏訪護国神社
どうしても見たいと思っていた諏訪湖のほとりにある高島城だけでも見ていくことにしました。
このお城は一見した外観が城歩きマンには、わが福井の丸岡城の外観によく似ていると思われ、とても親しみを感じていました。
子細に見ると違うのですが、遠くから見る姿は丸岡城を彷彿させていると思うのです…。

24高島城跡天守(南東隅から)2016年4月南東隅から見た高島城天守
この城は豊臣秀吉の家臣、日根野高吉によって、天正19年(1591)から慶長3年(1598)までの約7年間にわたって築かれた城です。もともとこの地は諏訪氏の領地でしたが、武田信玄が侵攻してくると諏訪氏は領地を追われ、武田氏家臣長坂氏によって茶臼山に城を築き、また城下町が建設されます。

28高島城跡(北西隅から)2016年4月高島城跡本丸(北西隅から)
武田氏滅亡の後、一旦諏訪氏がこの地に復帰していましたが、天正18年(1590)に徳川家康とともに関東に移封されます。そしてその後に日根野高吉が入り、現在見る高島城の原形がつくられたのでした。
城壁は下見板張りで、こげ茶色の外観です。屋根はもともとこけら葺きでしたが、今は銅板葺きになっています。諏訪地方は寒暖の差が激しく、焼物の瓦では耐久性がもたない、ということでこけら葺きだったそうです。雪国で焼物の瓦では耐久性が弱いというので、水に強いシャクダニ石の瓦が用いられた丸岡城と事情がよく似ていますね。

29高島城跡株木橋と隅櫓跡2016年4月高島城本丸の冠木橋と隅櫓跡
二ノ丸や三ノ丸は本丸の北側に並んでつくられたそうで、いわゆる連郭式の縄張りでした。そしてこの本丸だけが高石垣で固められ、新たに内堀が掘られたそうです。それはもと諏訪湖のほとりに造られた水城で、湖が天然の掘割になっていたのです。
今は西側はすっかり埋め立てられて、昔の様子は偲べません。ちょうど安土城の周りが湖で囲まれていたのと同じ状況です。

25高島城跡天守から諏訪市街を望む2016年4月天守階上から諏訪市街を望む
26高島城内部の展示品2016年4月城内展示コーナー
高島城にはユニークな歴史があります。関ヶ原の戦いの後に諏訪に戻った諏訪氏は、以後明治まで代々城主を務めたわけですが、寛永3年(1626)徳川家康の6男が諏訪に幽閉され、この高島城に忠輝を預かります。その後も元禄16年(1703)に赤穂事件に絡んで、吉良氏の孫が諏訪に幽閉され、高島城に預かることになります。

30高島城内庭園2016年4月高島城内公園
諏訪湖の位置は古来、中山道と甲州街道、千国街道などが交差する重要な交通の要衝でしたが、一面で幕府の幽閉地の役目も持つなど、特殊な土地柄でもあったことが分かり、またまた興味が深まった高島城でした。
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