円形プラン山城について

円形プラン山城について

美浜狩倉山砦跡遠望(南から)美浜町佐田狩倉山砦跡遠景
以前、このブログで福井県美浜町狩倉山砦のことをとり上げました(2015.10.9付けでアップ)。
戦国大名朝倉氏が若狭武田氏攻略のために築いた中山の付城の一つとして紹介したものですが、美浜町佐田にある狩倉山砦は、縄張が円形を呈していて、二重の空堀で囲われた極めて特異なプランの山城だと書いたのですが、確かに若狭ではあまり類例がありませんし、越前でももちろん、一ヶ所を除いてはそれらしい類例は見当りませんでした。

それらしい類例とは、越前では福井市大森地区(旧清水町)の天目山に、二重の空堀に囲われた単郭の山城があるとされているものです。

狩倉山二重堀(内側)2狩倉山砦跡の二重堀切
福井県以外では、お隣の滋賀県で一ヶ所確認できました。ブログを通じて知り合った方の記事に岩熊城というのが紹介されていて、やはり円形プランの単郭の山城だと言います。
いずれも詳細な規模や形状については、実地に現地踏査を経てからでないと言及出ませんが、全く稀有な類例でもなさそうです。
ちなみに、滋賀県のそれは戦国末の若狭を一時期支配した丹羽氏の構築によるものだとも言われています。

また、規格、規模の点で別格のプランをもつ静岡県の田中城も実は円形プランの代表の城郭です。こちらも中世~戦国時代に築かれた典型的な土城で、元亀元年(1570)に甲斐武田氏が家臣に命じて今のプランに改修させたと言われています。ですから円形プランそれ自体は決して稀有なものではないと思われます。

狩倉山砦二重堀内側にかかる土橋二重堀切にかかる土橋
ごく最近の話題ですが、知り合いの方からいただいた『石が語る西海の歴史』(アルファベータブックス)という書物を読んでいましたが、その中で「針尾城」という城跡が紹介されていました。長崎県佐世保市針尾中町所在の城で、14世紀頃に針尾氏によって築かれた城郭だとされています。

東西約80m×南北約60mの円形プランの城で、やはり二重の空堀が巡らされている、というものです。この記事を読んでいて、すぐに福井県美浜町の狩倉山砦のことを思い出しました。場所はずいぶんと離れたところですが、よく似た城があるものだと感心しながら読んでいきました。
この城跡では平成16年に中心部分など城郭内の発掘調査が行われ、鎌倉期を初現とし戦国時代末頃をピークとする輸入陶磁器などの豊富な遺物の出土を得、中世を通じて幾度も繰り返し使用された、針尾氏の拠点的な城郭遺構であることが分かってきました。
もっとも、報告者は針尾城の円形プランが稀有なもので、北海道のチャシとの関連性も伺える、という見解を示していますが…。

場所が九州の西の果て、というところだけに比較例に挙げるのも躊躇されたのですが、要は円形プランは珍しい、ということだけに囚われず、現状をありのままに見ていきたいと思います。そして、駈倉山、というもう一つの山城との混同(?)があるという事実関係も究明出来たらな、とも思っています。

城歩きマンが言いたいのは、若狭の美浜町で確認されている狩倉山砦跡という山城が、円形プランで構築されていて珍しいものだということだけの常識を見直して行きたいということに尽きます。似たような字(音韻)をあてて、やはり美浜町に所在する「駈倉山砦跡」との両者の関係性も含めて、朝倉氏が築いたという「付城」の在り方を見直していきたいと思っている今日この頃です。
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