倭城噺2題(その2)

黒田官兵衛と倭城
倭城の噺をもう一つ。

前日アップした倭城の本が出版される、ちょうど一年前の2013年12月に、辰巳出版という本屋さんから『お城の手帖 黒田官兵衛を巡る65の城』という本が出されています。NHKの大河ドラマの「黒田官兵衛」が放映される前年の、ギリギリ前に出版されたもので、黒田官兵衛の人気にあやかった特集ものでした。

それはどうでもいいのですが、その本の中で、官兵衛が関わった城郭の中に当然、朝鮮出兵に絡んで倭城があるので、そのことにも触れていて「巻頭特集」として紹介されていました。機張倭城、梁山倭城がそれです。

機張倭城は文禄2年(1593)、官兵衛の息、長政らが築城したとされます。また梁山倭城は、黒田軍が蔚山倭城の加藤清正の救援に向かった折、官兵衛が在城していたお城であると言われます。
機張倭城は釜山市の史跡に指定されていることもあって、現地は見学しやすいように、通路が整備されていると言います。
もうひとつの梁山倭城は、梁山市の西を流れる洛東江に面した標高120mほどの丘陵の上にあり、金海竹島倭城から漢城に向かう道筋になります。
海側の金海竹島倭城と同じく、現状は山林で、周囲は墓地、荒れ地の状態と記されています。

こちらの雑誌はテレビドラマの放送に合わせた情報提供の一つで、黒田官兵衛が朝鮮でも築城に力を発揮した、ということを述べていますが、実際にはドラマの放送では、朝鮮出兵のことは殆ど映像が流されることはなく、短い時間で済まされていたようです。ドラマで、この朝鮮出兵の舞台、背景をどのように見せるのかな、と期待をしていましたが見事に肩透かしを食いました。

13年前に韓国旅行した経験が城歩きマンには大きな財産になっています。
城郭研究者の多くの方々が指摘するように、確かにこの朝鮮出兵によって、日本の城郭築城技術は大きく変化したkとは間違いないように思います。
このあたりのことを、これからも拘って考えていきたいと思っています。
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