栃木県唐沢山城について

9月1,2日(土,日)大阪歴史博物館で2012年度の中世都市研究会が開催されます。
久しぶりで参加することにしました。今回のテーマは「中世都市から城下町へ」です。使い古したテーマですが、以前の議論を再度煮詰めなおすという、近年の研究会の方向性に沿ったものです。
メインの題材は、大阪の石山寺内町から豊臣氏を経て近世城下町へ、どのように変貌を遂げたかということで大阪城が取り上げられ、地域の題材としては徳島の勝瑞城、小浜市の小浜城、栃木の唐沢山城などが取り上げられるそうです。
徳島の勝瑞城は、昨年の夏に四国旅行で見学したばかりでしたし、小浜城は地元の城跡です。栃木の唐沢山城は、名前を聞いていただけで、なじみのない山城です。この機会にと、いろいろ調べてみました。そうしたら、下野の名族佐野氏の居城であり、関東七名城の一つに数えられるほどに有名な山城だということが分かり、今まで無頓着でいた自分が恥ずかしくなりました。
この唐沢山城は佐野氏の祖である藤原秀郷が天慶三年(940)に築城し同5年に完成した、というまことに古い年代の山城であるとされています。そして佐野氏の代になっても存続し、越後の上杉氏や小田原の北条氏らと勢力争いを繰り広げることになりますが、天正18年(1590)小田原攻めの後、秀吉方についた天徳寺宝衍(房綱)が佐野氏の跡を継ぎ、唐沢山城の大改修を行ったといいます。そして慶長12年(1607)に廃城となりました。
この山城には、関東ではまことに珍しい畝状連続竪堀が築かれていることが分かりました。また、城の要所々々には堀切と同様に、長い竪堀が効率よく配されていることも確認できます。この築城技法により、報告者は上杉氏が一時期佐野氏に養子縁組したりして影響下にあった時期の所産である、と推測しています。果たして上杉氏のもたらしたものかどうか・・・・。
またこの唐沢山城の城下町形成の過程にも最近スポットがあてられ、平成19年度から城跡の保存整備事業が進められて、脚光を浴びつつあります。今度の中世都市研究会では、こうした最近の地方の話題も取り入れて実施されます。大変楽しみです。
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