新潟県南魚沼郡荒戸城跡の踏査

2011年11月城の会関東の旅(荒戸城4)現地に立つ荒戸城跡の説明板
今回の関東城館めぐりの旅の締めくくりは、群馬県との境にある新潟県南魚沼郡湯沢町の荒戸城跡の踏査、見学です。


荒戸城はあの有名な上杉景勝と景虎(両方ともに謙信の息子たちでしたが)家督相続をめぐって相争った「御館の乱」(天正6年・1578)のとき、景勝が北条方の軍勢の侵入を阻止するために築かせた国境の城です。
この乱は天正7,8年と続き、上杉景勝方と北条方とで争奪を繰り返しましたが、最終的には上杉方が取り戻し、景勝の出身地の上田衆を起用して在番させました。

荒戸城は、確かに関東と越後を結ぶ三国街道の境い目の芝原峠に位置しています。

荒戸城の周辺はリゾート開発が行われて、スキー場や避暑地の別荘、ホテルなどが建ち並ぶ小じゃれた街に変身していますが、当時は重要な交通の要衝であったことは容易に頷けます。
現在も車での接近は大変難しい様子でしたが、何とか観光バスで近くのすれ違い用の駐車スペースまで進んで、そこから徒歩で荒戸城まで行きました。

⑯2011年11月城の会研修関東の旅(荒戸城) (1)荒戸城跡本丸にて
晩秋の城跡はすっかり樹木の葉も落ちて、裸の状態。見通しもバッチリきいて、大変楽しく城跡の散策を楽しみました。
現地の説明板もそうですが、荒戸城跡の遺構は曲輪や、堀切、本丸を囲む土塁、背後の搦手にある枡形虎口などに加えて、本丸の東側斜面には4条の畝状竪堀が刻まれていることが最近見つかりましたので、これを現地確認するのも一つの目的でした。

⑯2011年11月城の会研修関東の旅(荒戸城) (2)二ノ丸、三ノ丸、空堀を北から見通す
説明板にはその表示がまだないので、他の縄張図を参考にしながら本丸の斜面を降りて、遺構の有無を調べました。
あたり一面クマザサに覆われて、遺構の様子は分かりにくかったのですが、笹をかき分けてみてみると確かに畝状竪堀は見つかりました。(説明板黄色の楕円の範囲)

⑯2011年11月城の会研修関東の旅(荒戸城) (3)本丸東面下の畝状竪堀
今回の城館めぐりの旅の最後の目的は無事、達成することが出来ました。

関東の城館は、城歩きマンが東京の大学に在学中に少し見学する機会があったものですから、まるっきり初めての場所ではなかったのですが、こうやってウン十年経って訪れてみると、なんとも言えない感慨がありました。

関東はこれからも訪ねてみたい山城が沢山あって、魅力の尽きない場所になりました。
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