相生市感状山城跡の踏査

相生市感状山城跡の踏査
今回は平成22年城の会の県外研修旅行で訪れた、近畿地方播磨・但馬の城館めぐりの旅のご紹介です。
城歩きマンは勤務先の定年も間近になった年で、なんとも感傷的な気分になった研修旅行だったことを覚えています。

編集_相生市感状山城跡感状山城遺構測量図(相生市教育委員会報告書より引用、一部改変)
平成22年度(2010)の城の会県外研修については
日程:平成22年11月13日(土)~15日(月)
旅程:1日目=兵庫県相生市感状山城、佐用郡佐用町上月城、赤穂パークホテル一泊
    2日目=赤穂市赤穂城、歴史博物館、養父市八鹿町朝倉城、城崎温泉深山楽亭一泊
    3日目=豊岡市出石町出石城・有子山城、城下町散策
といったコースで実施されました。
3日間の旅行の間中、天候は大陸からの黄砂が激しく降っていて、曇り、曇り、一時雨といった調子ですっきり晴れ上がる時はなかったのですが、それでも何とかやり過ごしました。

近畿地方と言えば姫路城や大坂城、あるいは和歌山城といった著名な城が浮かびますが、これらの城は既に見学済み。今回の城めぐりは少し好事家的に、突っ込んだ城めぐりの旅になっているかと思いました。


最初の感状山城は近畿地方でも1、2を争う石垣を多用した山城で、それでいて時期は古い部類に入るとのお墨付きでした。
標高301m、比高差にして216mの手ごろな高さの山城ですが、南北方向の尾根線に沿って、連続的に長方形の曲輪を配して、大手口と考えられる西南尾根上には出曲輪的にやはり、階段状に曲輪が配されています。

この山城の名称は南北朝期、建武3年(1336)赤松則祐が新田義貞の軍勢を防いで、足利軍の進攻を助けたという功績により、尊氏から「感状」を賜ったという逸話によると言います。

こうした逸話をもつ感状山城ですが、戦国時代には守護家の赤松氏の居城とされ、代々赤松氏が居城したと思われます。しかし、全山の各曲輪の回りに築かれた石垣は自然石を利用した野面積みに近いものですが、部分的に布積みの手法も見られ、城の評価は俄かには決しがたいと言われています。どういう城なのか、という総体的な評価はとても難しい山城です。<この項続く>
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