兵庫県佐用郡佐用町上月城跡の踏査

佐用郡佐用町上月城跡の踏査

若越城の会では平成22年(2010)11月13日(土)から3日間の播磨、但馬の城館めぐりの旅を実施しました。
初日の13日は相生市の感状山城跡、佐用町上月城跡の踏査を実施しました。

上月城跡登城口上月城跡登り口
上月城といえば、天正6年(1578)の毛利氏と尼子氏の戦いがとても有名ですね。尼子氏の再興を目論んで、上月城に立て籠もった尼子勝久、山中鹿之助の軍勢は激戦の末、毛利軍に攻め込まれ、降伏します。

尼子氏は滅亡し、上月城もその後に廃城となりました。上月城がある佐用郡佐用町上月は荒神谷川を挟んで、東、西、南にそれぞれ播磨、美作、備前の国境線上にあり、古来「境目の城」として重要視されてきました。

当初南北朝期のころ、上月氏によって城が築かれたのですが、守護赤松氏が勢力を衰えた以後には山名氏や尼子氏らとの間で争奪戦が繰り広げられ、不安定な状況が長く続くことになります。

上月城主郭部上月城主郭部
天正5年(1577)第1次上月城の戦いが行われ、中国攻めで秀吉が上月城を陥落させます。
そして翌年の天正6年に上月城の尼子、山中の軍勢は毛利氏との戦いのさなか、秀吉の援軍を得られず、なかば裏切られた形で敗北し、滅亡するという有名な戦いの舞台となったところです。


城跡は標高約190mの丘陵頂部、尾根線の先端部に築かれています。東と西の端にそれぞれ堀切を刻んで曲輪群をその中に配列している、典型的な連郭式の山城です。山頂部の主郭をはじめ、第二郭、第三郭、帯曲輪などが並んでいます。

城跡自体はそれほど規模の大きなものではありませんので、この山城の周辺に仁位山城をはじめ、多くの陣城と考えられる城郭が確認されていて、それらの山城に軍勢が分散して、あの毛利氏と戦いが繰り広げられたものと考えられています。

夕方近くになって、夕闇が迫り始めるころでしたので、大慌てで登城したことを覚えています。山道で暗くなると道に迷う確率が非常に高くなり、危険です。秋のころは夕方4時を回ると山登りは止めた方がよいでしょう。

それはともかく、急いで山を下りてバスに乗り込み、初日の宿泊地へと急いだのでした。
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