豊岡市出石町の城下町を歩く(その2)

豊岡市出石町、出石城下町の散策は、午前中に城跡を見学、午後は城下町のなかを自由見学、ということで気ままに散策。

編集_IMG_20160905_0003_NEW「但馬国出石観光協会」刊パンフより引用
出石城跡はもと、室町時代の守護大名、山名氏の城下町で当初九日市に置かれた守護所から、文中年間(1372~75)に出石町の北、此隅山に城を築いて移ったとの伝承がありますが、遅くとも16世紀の初め頃には九日市から此隅山に城下を移し、その後天正2年(1574)に山名祐豊が有子山に城を移して守護所としていました。

有子山城縄張図『日本の城 ディアゴスティニ社刊』より引用
有子山城は天正8年(1580)の秀吉による但馬攻めで落城し、弟の羽柴秀長が有子山城に入城しました。そして数代の紆余曲折を経て、文禄4年(1595)、小出吉政が播磨龍野から有子山城に入城し、嫡男の吉秀の代には居館部を今見る石垣造りの近世城郭へと修築しました。

出石城縄張図『日本の城 ディアゴスティ二社刊』より引用
出石城の大手門脇に明治4年(1871)に建設されたという、なんともアンティークなスタイルの時計台があります。正式には「辰鼓楼」という名前が付いています。この時計台を皮切りに大手前通りをまっすぐに北へ進み、出石史料館や宗鏡寺を回り、きびすを返してもとの道を戻りながら正門跡や家老屋敷をめぐりました。

もちろん、桂小五郎の廣江屋敷ものぞいてきました。

2010年11月城の会研修播磨、但馬の旅 (此隅山城5)此隅山城遠望
2010年11月城の会研修播磨、但馬の旅 (此隅山城4)此隅山城を望む(出石神社より)
いよいよ福井へ戻る時間となってきましたので、一旦バスに戻って全員の点呼をとった後バスは出発しましたが、折角だからというので、事務局のほうで少し時間を割いてもらって帰りの足で、出石城下町の前身となった山名氏の城下町、および拠点城郭であった此隅山城に立ち寄ろうという提案があり、近くで展望のきく出石神社にバスを停めてもらいました。

そこで、事務局から此隅山城について、若干の説明をきいた後、神社の回りを散策し、いよいよ出石町をあとに福井へと帰路の途につきました。
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