奥美濃、飛騨路の城館めぐり(2)

東氏館跡庭園東氏館跡庭園
麓にある東氏館跡庭園は国指定史跡になっていることもあって、きれいに芝貼り整備されていました。
ただ惜しいことには、庭園を含めて館跡の遺存度が良くなくて、建物の配置や規模など、詳細がよく分からず残念です。これは後世の削平、撹乱のせいですがもう少し残っていてくれればと思いました。

妙見神社入口、大杉明建神社入口
妙見神社案内板の前にて明建神社入口の説明板
この踏査の後、2,3年後にも知りあいを連れて見学する機会がありました。このときは古今伝授の里ミュージアムや歴史資料館、近くの明建神社をこの時はじっくりと時間をかけて見学することが出来ました。

古今伝授の里歴史資料館見学歴史資料館の展示解説に聴き入る
古今伝授とは、古今和歌集を講釈する際に相手に分かりやすくするために、様々な注釈を入れて伝授することで室町時代になって形式が成立し、一般化したようです。東氏は関東御家人で千葉氏の流れをくむ名門の武将ですが、歌道にも秀でていて、代々幕府に重く用いられました。
承久の乱で功績のあった東胤行(たねゆき)が美濃国山田荘(現郡上市大和町)の地頭職を得て、その子の行氏(ゆきうじ)以後、土着化しました。室町時代には幕府の奉公衆となって権勢をふるいましたが、永禄2年(1559)一族の遠藤氏に攻められて滅亡しました。

東常縁(つねより)の時、応仁の乱に乗じて斉藤明椿に所領の山田荘を奪われましたが、このことを歌に託して、領地を返還してほしいと訴えたところ、明椿がそれならば、と和歌を重んじる常縁の生き方に免じて無事返してくれたという話が伝わっています。
当時の状況にしていればにわかには信じがたい、嘘のような話ですが本当にあったそうです。

知人の家族とともに、2度目に訪れたときも空はあいにくの雨模様でしたが、東氏館跡庭園を散策しながら歩いていくと、何やら地元の人たちが明日から始まるイベントの準備作業をしているところに出合いました。
庭園の脇の広場で火おこしの作業をしていました。祭りで篝火をたくのですが、その時の日は、村の人が昔ながらの火打石と火打金でカチカチやりながら、火おこし作業をやっていました。

とても興味を引かれました。

古今伝授の里ミュージアムでは古今集の解説やら、友の会に入っている人たちの短歌の作品展などが行われていて、今回はじっくりと展示鑑賞をすることが出来ました。
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