永平寺町波多野城跡の見学会(2)

編集_波多野城跡(散策ルートマップ)波多野城跡史跡散策ルートマップ(現地説明板より)
平成28年10月2日(日)午前8時30分、永平寺町の「友遊広場」公園に集合。
天気はすこぶる快晴、城歩きマンにとっては3度目の正直です。秋雨前線が南下して、北陸や東北地方は絶好の秋晴れに恵まれました。


参加者は地元永平寺町花谷地区の皆さんをはじめ、付近の住民の方々約35名以上が集合。子供さんも10名ほど混じって、とても賑やかな登山風景です。城山の会の会長さんの挨拶があって、今回は城主の子孫にあたる波多野さんが山登りに参加されることを紹介していました。

編集_①波多野城跡登城開始2016年10月2日いよいよ登城開始!
この山を地元では城山(じょうやま)、と呼んでいます。
この志比庄に地頭として波多野義重さんが鎌倉時代の承久の乱(1221年)以降に入封してきます。
以来、室町時代から戦国時代にかけてもこの地区は波多野さんや朝倉氏の家臣の所領でしたが居城の位置は変わらず、数百年間にわたって使用されたものと思われます。

編集_②波多野城跡の途中にあるクマ檻2016年10月2日クマ檻(実際はイノシシ用)
いつ廃城になったかは正確には分かりませんが、少なくとも一向一揆のころまでは使われたものと思われます。
この山城の大きな特徴である「畝状竪堀」があるということは、恐らく、波多野城に最初に築かれた斜面の帯曲輪や腰曲輪をあとで切り刻んで畝状竪堀を掘り込み、一揆の襲来に備えた朝倉氏の残党、または朝倉恩顧の武将がいたことを想像させてくれます。

編集_③波多野城跡の熊注意看板2016年10月2日途中にあるクマ注意の看板
あるいは、この志比庄の土地柄を考えて、一揆衆が織田方の越前侵攻に備えてこの山城を再利用するため、新たに畝状竪堀をほどこした結果とも考えられます。
いずれにしても、畝状竪堀が刻まれた段階がこの山城の最終段階だろうと思われますが、平成12年(2000)に県の史跡に指定されただけあって、遺構の残り具合の良さは絶品です。城の規模や山城としての構造のすばらしさから見て、国の史跡になっても何の遜色もないほどです。地元の自覚と頑張りに期待したいと思います。

登り始めてすぐに林道のカーブのところに「クマ檻」がありました。前回もこのクマ檻のところで引き返してしまったのですが、地元の人に聞いたところ、実際にはイノシシ捕獲用だとのことでした。餌として米ぬかを檻の中に敷いているため、強烈なにおいがして大変でした。

編集_④波多野城跡崖崩れ箇所2016年10月2日崖崩れ危険ヶ所
更にその先には実際に「クマ出没注意」の看板や、がけ崩れの箇所があったりして、なかなか波多野城の山登りは一筋縄ではいかない所だなァと言い聞かせながら、勾配の強い山道をユックリ、ユックリ上りました。
久々の割には、息も上がらず、何とか皆さんに付いていくことが出来て、これは日頃のウオーキングのお蔭かな、と嬉しくなりました。

編集_⑤波多野城跡休憩ポイントからの眺め②2016年10月2日第一休憩ポイントの石碑
道のりも半分ほど来たところで素晴らしく眺望のよいところに出ました。北陸電力の鉄塔がある山の端のところで、最近でしょうか、雑木がきれいに切り払われて、麓の東古市地区から鳴鹿地区一帯が眼下に広がって、遠く坂井平野までが一望できました。
空が晴れ上がって、最近になく、とても清々しい気持ちになりました。

編集_⑥波多野城跡休憩ポイントからのながめ2016年10月2日第一休憩ポイントから浄法寺山を望む
平坦地の中ほどに石碑が建っていましたが、無銘の石碑のようで主催者の人に訊いたのですが詳しいことは分からない、ということでした。

編集_⑩波多野城跡直下の休憩テントからの眺め2016年10月2日眼下に鳴鹿地区を望む
そうこうしているうちに、城跡の真下の広場に到着しました。

編集_⑧波多野城跡直下の休憩テント2016年10月2日城迹直下の休憩テント
広場には今回の登山会と、数日後の地元の小学校の遠足の山登りも兼ねて、休憩用のテントが建てられて、準備万端の歓迎ぶりでした。
ここで小休止したのですが、地元の城山の会の計らいで、子供さんたちに呼びかけて志比小学校の校歌を皆さんで斉唱することになりました。

編集_⑨波多野城跡直下のテント脇にあった模型2016年10月2日城山の会のメンバーが作成したというお城の模型
どうやら、登山会の主な目的は子供さんに愛着を持ってもらうためのようでした。よく似たところでは、棗地区の朝倉山城の登山も子供さんたちの為に企画して道を整備し、遠足や他の行事で、山に気軽に登ってもらえるように運動していることをこのブログでもご紹介したのですが、県内でこうした運動がもっと広がっていくとうれしいのですが…。

編集_⑦波多野城跡休憩ポイントからの眺め③2016年10月2日休憩ポイントから坂井平野を望む
小休止の後、いよいよ城跡へ。85段のジグザグに設定された階段をほぼ直登の状態で登ることに…。
しかし、途中2カ所に休憩用のベンチ(手作り)が置いてあって、腰かけて、眼下の九頭竜川の様子を眺められるようにしてあるのが、とても気が利いてよかったと思いました。

編集_⑪波多野城跡の二の郭と土塁2016年10月2日山頂部二ノ郭と土塁
波多野城の山頂部で皆さんが集まって、城山の会の会長さんがお話を始めたのですが、途中で城歩きマンのところに振られて、是非、この波多野城のことで説明してほしい、との要望がありました。この会に参加するときに、仲介してくれた永平寺町のKさんからもそのようなことをチラッと聞いてはいたのですが、本気だったとは…。
でも、折角子供さんたちが、興味深そうにこちらを見入っているので、断るのも気の毒かな、と思い即興で波多野城の話をしました。

編集_⑫波多野城跡の畝状竪堀(本丸下)2016年10月2日主郭下の畝状竪堀群
マ、そんなサプライズなこともあって、今回の波多野城の見学会は想い出深い出来事になりました。
さらに、これは蛇足の話ですが、山頂部は花谷地区が所有している部分以外は手つかずの状態で、下草が伸び放題、見通しも利かず、残念な状態でした。
城山の主要部はもちろん平成12年に県史跡になったのですが、その後の維持・管理は地元の行政団体である永平寺町が管理することになっています。せっかくの県の文化財、歴史財産ですから、これを有効に活用するためにも、日頃の維持・管理を欠かすことは遺跡保護の主旨にも反します。

土地の所属は個人所有ですから、第三者が勝手にどうこうすることはできないのですが、せめて、見学者が歩いて史跡を見学できるように地元自治体で整備していただければもっともっと訪れる人が増えていくだろうと思われ、今後の対応に期待したいと思います。そんなことを呟きながら、昼食の後、汗ばんだ老体にムチ打ちながら山を下りました。
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COMMENT 2

midorishako  2016, 10. 04 [Tue] 14:53

やらざるを得ない

波多野城址見学会お疲れ様でした。
いきなり説明を振られて、大変でしたね。
チラッではなく、前もって、しっかりと依頼があってしかるべきと思いますが、とにかく無事終わってよかったですね。
2日は写真を拝見いたしますと、雨も降らず、まずまずの天気だったのではないかと思います。(私の地域は降りませんでした)お天気にも恵まれて、本当によかったですね。
見学会にお子さんを参加させたり、途中に手作りの城の模型があったりしてと、地元の方の熱意が感じられました。
こうなると、いきなり振られても「やらざるを得ない」という感じでしたね。
ご苦労様でした。

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城歩きマン  2016, 10. 05 [Wed] 07:35

No title

midorishakoさん、コメントありがとうございます。
先日の若狭町の堂谷山城の見学会から、さほど経っていなかったのですが、400mを超える山もなんとか、バテずに登城することが出来ました。

子供さんがたくさん見ている中で、みっともない格好もできず、内心ヒヤヒヤでしたが、何とか、無事、目的を達成できました。

これから山登りにはもってこいの季節になってきます。体調を整えて、出来るだけ山城を踏破したいと思います。お互い頑張りましょう!

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