岐阜県山県市大桑城跡の踏査

ふたたび、昔の城跡めぐりの旅をご披露します。
平成22年(2010)7月5日(日)、高山市国府町の広瀬城跡の踏査の後、昼食もそそくさと同じ岐阜県の山県市高富町へと向かいました。

編集_岐阜県大桑城跡大桑城跡登城口
その日の二つ目の目的地である大桑城跡の踏査を控えていました。本城は戦国時代の美濃の守護であった土岐氏の城下町とその居城跡で、城跡の部分は古城山と呼ばれる標高405mの小高い山頂部に築かれた山城です。


登城道は谷の奥のキャンプ場として整備された空き地の脇にありました。近年ゴルフ場建設による開発が進んでいるようで、廻りは工事用道路が新しく開通していました。この道路を登れば、中腹まで行けるかもしれないと思い、近くにあった老人ホームに立ち寄り、職員さんに道を尋ねましたが、工事用の林道はよく山崩れがあって、不通になることが多いので通らないほうが良いとのことでした。

そこで止むなく、通例に従って従来の山道を麓から歩いていくことにして、午後2時過ぎになりましたが登城を開始することにしました。
その日は前日の雨も上がり、気温はぐんぐん上昇し、きつい一日になることが予想されました。案の定、山頂までの距離は遠く、登りも急で登り切るのに1時間半もかかってしまいました。

大桑城四国堀案内板四国堀説明板
頂上では天守閣のミニチュアを見ただけで早々に下山することにしました。主郭部の回りは傾斜がとてもきつく、ブッシュも多くて廻りをゆっくりと観察する余裕もありませんでした。往きと帰り、途中の曲輪の状況観察だけで精一杯でした。
今回のような急峻な崖上に造られた山城は、チョコチョコとみるわけだけでは駄目で、丸一日をかけてじっくり踏査するべきものだとつくづく考えさせられました。

大桑城四国堀大桑城跡四国堀
この山城の麓の城下町跡を散策したかったのですが、時刻は午後4時を回り、日が大きく翳って遺構の様子は見にくくなってしまいました。大急ぎで、「四国堀」「越前堀」と呼ばれる場所を探して、遺構の位置関係を確認しながら現地をあとにしました。
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