鯖江市三峰城跡の踏査

7三峰城本丸から一乗谷を望む三峰城跡から一乗谷を望む
福井県鯖江市の三峰城へはこれまで何度も登城していますが、平成22年、23年は都合3回登城しています。


1回目は現役時代に登った記憶を取り戻し、正確な状態を把握するために、単独で、戸ノ口トンネル南側出口の左脇にある登山口より、車で林道伝いに旧三峰村まで行き、そこから山頂まで踏査しながら歩きました。

5旧三峰村大イチョウ旧三峰村中央に残る大イチョウの大木
現役のころは、『福井市史』の原稿を仕上げる目的もあって、三峰城跡から尾根伝いに西へ進み、丹波岳城までの尾根線上にいくつもの堀切、小曲輪が点々と遺存しているのを確認しました。
この状況は、一乗谷城の向かい側の八地谷の尾根線上に堀切、曲輪が並んでいるのと同じ状況でした。

おそらく三峰城から丹波岳城、文殊山城への尾根線が一乗谷城の出城とされ、当時はそれらの間が防御ラインとして、実際に堀切や見張り台、烽火台を設置して厳重に管轄していたことを示すものと思われました。
この周辺についてはさらに詳細な調査が必要です。調査のやり方次第では、新たな遺構の発見が得られることも十分に予想されます。

1三峰城登城道三峰城への登城道(このすぐ左が旧三峰村入口)
2回目は7月17日(土)、森田公民館の見学会のための下見で、公民館職員とともに登城しました。その日は夏の暑い陽射しを受けて、汗だくだくになりながら登ったことを記憶しています。
このときのコースは戸口トンネルのずっと東側、河和田方面へ向かう金谷トンネル南出口のすぐ脇にある三峰方面の林道を西に向かって進み、城跡の直ぐ下あたりの空き地で下車して、直登コースを登城しました。

地元の金谷町有志による登山道整備で、分かりやすいところに入口の案内板が設置されていましたので、そこから登城を開始しましたがなかなかの勾配で、折からの暑さも手伝って、ヒイヒイ言いながらの登山行になりました。山頂の本丸に建てられている記念の石碑のところで昼食をとった後下山しました。

2旧三峰村案内板旧三峰村の説明板
3回目は平成23年(2011)7月3日(日)。公民館の見学会の日。この日は地元戸口集落の有志の方々も加わって、三峰城跡見学会が行われ、一般参加者の安全を考えて、やはり、戸口トンネルから林道をすすんで城跡の直ぐ下まで乗り付けました。

山歩きに不慣れな人が含まれていましたので、600mほどの道程でしたが、滑って転がないように、ユックリ、ユックリと進みました。途中、三峰城跡の遺構の説明をしながら登りましたが、城跡を見学するのは初めて、という人もいて、こちらの説明を怪訝そうに聞いている様子でした。
城跡の中心部まではもう目と鼻のところまで来ています。<この項続く>
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COMMENT 2

怜の父  2016, 10. 10 [Mon] 22:43

三峰山城から丹波岳城・文殊山城と連携してたとは規模の大きさにビックリです。文殊山の南側の鯖江市片上地区には何故か山城が多くあったみたいで、これも一乗谷の防衛ラインに入っていたのでしょうか?
三峰山城から尾根伝いに河和田地区の丸山にも出城があったと聞きますが、今は公園が作られ破壊されてます。
朝倉家にもう少し忠義のある武将が残っていて、これらの城に籠って織田家に抵抗し、このタイミングで浅井家が離反していたら歴史は変わっていたでしょうね。

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城歩きマン  2016, 10. 11 [Tue] 07:27

No title

怜の父さん、コメントありがとうございます。

昔から思っていたのですが、三峰城のまわりは尾根伝いにいくつも山城があるところで、是非、もう一度周辺一帯の詳細な分布調査が必要だと実感しています。

一乗谷城の長い歴史の中で、まわりの山城の調査がほとんどなされていないのも、少し奇異な感じがしています。

何とかしたいのですが…

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