新潟県下越地方の城館めぐり(7)

村上城跡の見学を終えて、夕闇迫る市街地を海岸方向へ向かって、車を走らせました。今日の宿泊地、瀬波温泉磐舟(ばんしゅう)をめざします。
昔なら、必ずビジネスホテルを探したものですが、最近は少しでも温泉場を探すようになりました。やはり年のせいでしょうか…。

編集_2016年10月17日下越城館めぐり(旅館磐舟)村上市瀬波温泉「磐舟」
翌日、天候はまだ回復せず、曇り空でしたが最初の目的地の平林城跡に向って、瀬波温泉を出発しました。
途中まで走ったところで、ふと昨日の大葉沢城のことが気になり、もう一度畝状竪堀のところを細かく見ておこうと思い立ち、方向を大場沢集落に切り替えました。昨日の午後、大葉沢城跡はクマの脅威(?)に怯えながらの踏査でしたので、観察がどうしても粗相になりました。折しも雨がボツボツ落ち始めたことも手伝って…。
そんなこんなで、もう一度大葉沢城跡に登ることにしました。
お蔭さまで、前回の報告のような状況観察ができました。

2016年10月18、19日下越の城館めぐり (平林城跡)編集分 (22)荒川から平林城方面を望む


マ、それはともかく、村上市の最南端にある平林城跡に向かったのはお昼近くになっていましたので、途中のコンビニで弁当を買い、車中で早めの昼食をとりました。このような各地の城館めぐりの旅をやっていますが、時間がもったいない、ということで車の走行中にコンビニで仕入れたおにぎりやサンドイッチをパクつくことはしょっちゅうありますので、今回も大葉沢城迹に寄った時間ロスを稼ぐため、急遽車中で、ということになりました。

2016年10月18日19日下越の城館めぐり 029遺跡入口に立つ説明板
平林城跡はナビのお蔭で、すぐ辿りつくことができました。国道7号線の荒川橋の手前で平林集落がありますが、この集落の山付きが目的の城跡です。

2016年10月18、19日下越の城館めぐり (平林城跡)編集分 (1)同じく遺跡入口にある案内板
平林城跡は要害山(または加護山)山頂部の山城と麓下の居館跡とがセットで遺存している貴重な遺跡です。
駐車場と思しき空き地に車を停めて、早速踏査の準備をしていましたら、何やら冷たいものがポツリ、ポツリ。ムム、早から降ってきたか…。

2016年10月18、19日下越の城館めぐり (平林城跡)編集分 (2)岩館南西端の外面(大きな段差のある崖面)
背中のリュックが濡れるとまずいので、雨合羽をとり出してかぶり、傘を差しての踏査となりました。
そして、岩館を過ぎてかぎ型土塁に指しかかったところで雨は本降りに。長靴をもってきてよかった。シューズだけなら、ビショビショになるほどの強い雨です。
要害山の加護山城跡を登るつもりでいましたが、これだけ降られるともう駄目ですね。諦めるしかありません。

2016年10月18、19日下越の城館めぐり (平林城跡)編集分 (3)岩館北虎口部
中曲輪の奥の山付き、土塁と空堀が巡るところまで来て、目の前に加護山城跡登山入口、と書かれた標識が立っているのを見ながら、きびすを返して引き返しました。
平地の居館群のうち、中心となる城主の館は一番奥まった殿屋敷というところです。南、西、東と三方が土塁と空堀に囲まれて、南側に平虎口の門があいています。北側は旧滝矢川の渓谷が流れ、深くえぐられた谷地形となっている天然の要害です。
この居館群の全体の大手口は中屋敷西側の一段下がった平地部分で、「弁天虎口」と呼ばれる見事な食い違い虎口となって。前方は馬出と呼ばれる平地が並んでいます。推定では、そのさらに前方に家老屋敷が遺っているそうです。

今回登れなかった要害山は標高287mの丘陵で、平林の集落からは真東の方角です。

2016年10月18、19日下越の城館めぐり (平林城跡)編集分 (4)中館に向かう見学道
平林城、およびその居館群は鎌倉時代からの豪族、色部氏の本拠地です。
色部氏は当初、源頼朝の挙兵に従軍し、幕府の創設にも功があったことから小泉荘の地頭に補任されました。もとは関東御家人の秩父氏の流れを汲んでいます。
戦国時代には北越後に土着して、本庄氏とともに屈指の国人として成長していきました。永正4年から11年の、いわゆる永正の乱(1507~14)では越後守護代の長尾為景に謀反し、永正5年(1508)には平林城は陥落して、上杉氏に服属することになります。<この項続く>
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