福井市大森町天目山城跡の踏査

編集_大森町天目山城跡の踏査2016年10月27日 024天目山城跡遠景(矢印、南から)
平成28年10月27日(木)天気晴朗、もうあと何回あるでしょうか、雲ひとつない日本晴れ。

今のうちに…、という思いがまた募ってきましたので、今年の春先に登城が叶わなかった県内の山城について、晩秋を迎えようとしている今、一つでも踏破したいということで今日から実行することに。

編集_大森町天目山城跡の踏査2016年10月27日 003天日神社階段入口
まず最初は旧清水町大森にある天目山城跡。
『越前国城跡考』には「志津荘大森村ヨリ北方山下ニ五十間四方計之所、自福井三里計」とあります。

編集_大森町天目山城跡の踏査2016年10月27日 006天日神社拝殿
また『角川日本地名大辞典 福井県』では「天日山中腹に天目山城跡が残る。この呼称は天日山を江戸期の地誌が天目山と誤記したことに由来するかも知れないが、享保5年の「城跡考」がすでに「天目山城跡」と記している。天日山は中腹の天日堂(現天日神社)にちなむ称であろう。
同上は南北朝期に新田義貞方が築いたとの伝承があり、現在、空堀に囲まれた円形の平坦地、北側尾根には堀切が残る。」とあります。

平成5年(1993)発行の『福井県遺跡地図』にもしっかりとドットされています。
旧清水町周辺の山城には木曽義仲にまつわる伝承が多くあり、それにちなんだ城跡が多いのですが、この天目山城跡は新田義貞が築いた、ということになっているのも一つの特徴です。

編集_大森町天目山城跡の踏査2016年10月27日 009城跡南東側空堀
早めのお昼を済ませた後、愛車に乗り込んで、天目山城跡へと向かいました。自宅からは20分ほどの距離です。
旧清水町集落西方の天日神社に着き、近くに睦月神事収納庫の駐車場がありましたので、そこに停めさせていただき、さっそく神社の高い階段を上ることに。

編集_大森町天目山城跡の踏査2016年10月27日 011城跡東側空堀(外側空堀と土塁)
階段は130段もあり、一息ではとても登れませんでした。この神社の本殿裏側が急な崖面になっていて、城跡はどうやら、その裏側の山の奥にあるようです。登城道はありませんが、何とか斜面をよじ登って城跡らしき二重堀のある平坦部に辿りつきました。
平坦部は緩やかなカーブをもって空堀に落ちていて、明確にくっきりと空堀が二重に巡っています。ただ、南側(神社側)では外側の堀が切れていて、腰曲輪ふうに細く平地が回っています。
空堀を含んでの直径は約40mほどでしょうか、『城跡考』は五十間四方、といっていますがどこまでの範囲をさしているのか、問題です。

編集_大森町天目山城跡の踏査2016年10月27日 012林道工事とユンボ
この天目山城跡は、標高約70mの位置にあって、地理上でいうところの天目山は標高111.9m、神社の位置からは450mも奥の位置になります。城跡は神社のすぐ裏手ですから、正確な名称としては“天日神社裏城跡”が正しいかな、とも思います。
規模は径が約40mと小規模なものですから、二重の空堀をもつ円墳の可能性も捨てきれず、あるいは円墳の上に戦国時代に修復が加えられて見張り台的な遺構に変更されたものとまとめることも可能ですが、まだまだ検証の余地があります。

編集_大森町天目山城跡の踏査2016年10月27日 015北側から見た城跡の堀、土塁(二重の堀は明確なレベル差がある)
ちなみに、二重の空堀に囲まれた見張台的な位置付けの城跡として知られる、美浜町の狩倉山砦跡は南北に約150m、東西約120mの規模をもち、天目山城跡とは3倍ほどの大きさの違いがありますが、狩倉山砦跡と同様、天目山城跡はかつての志津庄の中心部にあり、海側へ出る街道と福井平野側へ抜ける街道とが交差する要の位置を扼する地点でした。
ここに見張り台としての施設があっても何の不思議もありません。

現状を観察しますと、二重の堀はくっきりと円形に廻っていて、深さは約1.0mから1.5mほどになりましょうか、北側尾根線に向かうにつれ深くなるようです。堀幅も約3m~5mほどでしょうか、場所によって大きさにバラツキガ出ているようです。それでも遺存度は極めて良好で、狩倉山のそれを彷彿させるものがありました。

編集_大森町天目山城跡の踏査2016年10月27日 017西側の土塁と堀(内周の土塁上から)
ところが、まわりの観察を続けているうちに、大きなユンボが見えてきて、何やら遠くでは樹木伐採のチェンソーの音がしています。さらに上へ登っていくと、城跡の北端部になんと道路工事がなされているではありませんか!

エ、なんで?
と思いながら、さらに上方の尾根を登って遺構の広がりを確認していたところ、同工事の関係者らしき男性が二人、何やら話をしながら舗装直前の道路の上を歩いているのに出くわしました。

城歩きマンは城跡がどうかなってしまうのではないかと、とても気がかりでしたので、すかさず訊ねてみました。
するとその男性は林道工事やけど…、との答え。その先の神社の崖の上が伐採されてるのはなぜ?と訊ねると、道路工事のまわりをあれぐらいの広さで下草やら、枝を刈っているようや、とのこと。福井市の人に言われて、そこは工事の範囲から除外している、と言われてやっと安堵の胸をなでおろしました。

それにしても、城跡の外周、空堀のギリギリのところまでユンボの削平が入っているのを見てしまうと、あまりいい気持ちはしませんね。
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