新潟県下越地方の城館めぐり(9)

2016年10月18、19日下越の城館めぐり (平林城跡)編集分 (14)平林城居館部正面、殿堀と門跡(南から)
平林城跡居館部の踏査はいよいよ大詰めです。
雨が降りしきるなかを、居館跡の一番奥の殿屋敷、と呼ばれる区画にやってきました。

2016年10月18、19日下越の城館めぐり (平林城跡)編集分 (15)殿屋敷堀跡(南東隅を望む)
先にも紹介しましたが、この屋敷は一番奥まった場所にあることもさることながら、堀、土塁を三方に持ち、背面は滝矢川の渓谷が天然の堀として防禦されている屋敷という意味で、城主の居館にふさわしい構えでしょう。南面する土塁のやや西寄りに平虎口の門があります。「表虎口」とも呼ぶようです。この門跡の遺構確認調査の時に、門跡の木柱が出土したと言います。

2016年10月18、19日下越の城館めぐり (平林城跡)編集分 (16)殿屋敷中央部分
殿屋敷の規模は現状で東西90m、南北150mをはかり、北西隅は崩落によって地形が歪にくびれています。先ほどの中曲輪の山付きから北へ延びる堀、土塁は殿屋敷の北端部まで届いており、滝矢川にぶつかって途切れています。

2016年10月18、19日下越の城館めぐり (平林城跡)編集分 (17)殿屋敷の山付きにある土塁と堀(北から)
2016年10月18、19日下越の城館めぐり (平林城跡)編集分 (18)同、土塁(北から)
段差の大きな滝矢川に面した段下には中曲輪、岩殿に続く用水(現滝矢川)が走っており、馬出と弁天虎口を切り離したようになっていますが、もとは馬出の北側を滝矢川が流れていて、馬出と弁天虎口はつながっていたものと思われます。
この弁天虎口は食違いの構造をもつ内枡形の構造を呈していて、他の三ヶ所に見られる門跡とは様相を異にしています。

2016年10月18、19日下越の城館めぐり (平林城跡)編集分 (19)殿屋敷内部(北から)
2016年10月18、19日下越の城館めぐり (平林城跡)編集分 (20)弁天虎口への通路
2016年10月18、19日下越の城館めぐり (平林城跡)編集分 (21)弁天虎口全景(南から、向かって左が食い違い土塁)
南門跡がこの居館の大手口にあたる、という推測が行われていますが、あるいは何回かの修築、増築が行われたという平林城にあって、一番新しい構造ともいえる弁天虎口が最終的な大手口だったのかも知れません。
余り、この部分の遺構が評価されていないのも少し不思議な気がします…。

平林城は終始雨の中での踏査になり、十分な観察ができなかったのと、山上の城跡へ行けなかったことが悔やまれる見学行となりました。
この雨の中を、午後に予定している胎内市へと向かうため、後ろ髪ひかれる平林城をあとにしました。

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