東海の名城見学研修(小牧山城)

東海の名城見学研修2016年10月30日 (ブログ用) (8)山頂にある小牧山城模擬天守
先日の10月30日(日)、とある団体が企画した標記の見学会に参加しました。
日帰りで、愛知県のお城を3ヶ所見学する企画で、一日、めいっぱい時間がかかりましたが、天気も良く願ったりの見学日和でした。

名古屋研修旅行下見(小牧山)2016年5月22日 (1)山麓南側の大手口(元市役所があった場所)
東海の名城見学研修2016年10月30日 (ブログ用) (2)同、東から
一番目の見学先は小牧市にある小牧山城です。
この城は織田信長が永禄6年(1563)に美濃攻略のために、新たに築いたお城です。
標高85.9mの小高い独立丘陵に築いたもので、名古屋の市街地西方ではとてもよく目立って、地元のシンボルにもなっています。

東海の名城見学研修2016年10月30日 (ブログ用) (4)本丸への大手道
現在遠くからでもよく見える山頂の天守は、昭和43年に個人の寄付によって建てられた模擬天守です。つくりは京都の飛雲閣を模したとも言われていますが、どんなものでしょうか。

東海の名城見学研修2016年10月30日 (ブログ用) (12)中腹にある巨大な横堀と土塁
小牧市は今、このお城にとても力を入れていて、町おこしに最大限活用しようと、あの手この手を尽くしているように見受けます。
山頂部のお城の石垣や、中腹にある土塁、堀、裾部の家臣の屋敷跡等を発掘して、お城全体を城郭公園として整備が進行中です。

東海の名城見学研修2016年10月30日 (ブログ用) (7)天守下の石垣(下部はほぼ埋没した状態)
特に注目されるのは、山頂部の天守での発掘により、新たに周囲に石垣が廻っているのが確認され、信長の時期に既にこうした石垣積みの城郭が築かれていたことが明らかになったことです。
大きな岩をいくつも、いくつも天守のまわりに巡らしていますが、こんな石をどうやって引き上げたのでしょうか?あまりピンときません。人海戦術でシュラを使いながら、引っ張り上げたのでしょうか。天守の階段の脇に矢穴の残る、大きな割石がありますが、家康が、小牧長久手の戦いで、再びこの城を拠点とした時の、改築の痕跡だろうとボランティアの解説員は言っていましたが、そんなことはありません。

東海の名城見学研修2016年10月30日 (ブログ用) (10)天守のまわりの石垣は2段に亘る
必要に迫られて、矢穴の残ったままの石を石垣として使ったものでしょう。無造作に倒されたように見えるのは、長年の自然崩落によるものか、家康の時の改造時のものか、今後の調査、研究がそれこそ必要な所以です。

名古屋研修旅行下見(小牧山)2016年5月22日 (2)矢穴の残る割石
小牧山城のすごさは天守の石垣だけではありません。裾をめぐる家臣団の屋敷群も見ごたえがあります。今回の見学では十分に周辺を回る時間がありませんでしたが、東西約600m、南北約400mにわたって広がる帯曲輪上の平坦地に土塁で囲った屋敷群が並んでいたようです。さらにこの屋敷群の外側に城下町が形成されていた、と言われています。

名古屋研修旅行下見(小牧山)2016年5月22日 (3)
空中写真で見ると、楕円形に東西に延びる丘陵のまわりにぐるっと取り囲んでいる家臣団の屋敷群が、規模は違いますが、愛媛の松山市にある湯築城のプランとそっくりであることに気付かされます。
時代もそんなに離れてはいません。平野の真ん中にこうした城砦を築こうとすると、どうしてもある意味、似てくることがあるものでしょうか?

そんなことを妄想しながら、次の見学地、清州城跡に向かいました。<この項続く>
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