福井県越前町芝築地山(乙坂山)城跡の踏査(その2)

乙坂山城跡踏査(ブログ用)2016年11月28日 (2)乙坂山登山口(左端に標石)
平成28年11月28日(月)福井県越前町乙坂にある芝築地山(乙坂山)城跡を踏査しました。

前に栃川の山城を歩いたときに地元の方から乙坂山への登山の話をきき、最近登山道がきれいに整備されたので、とても登りやすくなったそうです。
ただ、何度もこの栃川へ来るときに乙坂集落を通りましたが、登山道への看板や道案内の標示は見かけませんでした。地図で探しましたが、やはり載っていません。

乙坂山城跡踏査(ブログ用)2016年11月28日 (4)登山道入り口のそばにある大洗磯崎神社
マ、村についたら誰かに訊ねればいいかな、と思うのですがやはり気にかかります。
ところが乙坂への踏査の前日に、ネットで調べていたら、偶然、山歩きのブログに乙坂山のことがアップされているではありませんか!

乙坂山は鯖武盆地のなかでもひときわ目立つ山で、標高こそあまり高い山ではありませんが、日野川をはさんで東には文殊山、西にはこの乙坂山が対峙しています。スケールの粗い地図を見ると国見岳、六所山、越知山、厨の城山、鬼ヶ岳等々と続いて平野の近くでは乙坂山が記されています…。

前日のブログにも書きましたが、戦時中に対空監視所が置かれて、武生の役所に通報できるような施設があったとか。これは、福井市の朝倉山城の監視所と同様、軍事的に見て城砦の選地に適っているという証拠。

乙坂山城跡踏査(ブログ用)2016年11月28日 (5)神社裏手にある登山道(階段が設けられて歩きやすくなっています)
この乙坂山とその周辺には4ヶ所の山城が確認されています。
『福井県遺跡地図』には芝築地山城跡、乙坂山東城跡、尉ヶ峰城跡、茶臼山城跡(前日の地図参照)。これは、踏査した結果、尉ケ峰城跡と茶臼山城跡が表記間違いで、尉ケ峰を茶臼山、茶臼山を尉ヶ峰としなければいけないようです。

乙坂山城跡踏査(ブログ用)2016年11月28日 (7)乙坂山東城跡の大堀切
また、芝築地山城跡と乙坂山東城跡はそれぞれちゃんとした山城で、『福井県の中近世城館跡』に掲載された遺構図は修正する必要があることなどです。

芝築地山城跡は、三角点(標高289.9m)のある山頂部に展開する山城で、地形に沿って曲線状に幅の広い土塁が主曲輪をとりまいている状況が見て取れます。
南辺の土塁状に三角点や戦時中の監視所の撹乱と思われる大きな土坑が2ヶ所みられます。
虎口は西側と南側、北東側の3ヶ所にみられます。西側の虎口は食い違い状に土塁が配されています。
南側の虎口は内枡形状に土塁が入り組んでいます。北東側の虎口は土塁が低くて、見分けにくいのですが、東側斜面下の腰曲輪と連結しています。

乙坂山城跡踏査(ブログ用)2016年11月28日 (8)主曲輪南側虎口部
主曲輪内は南北にゆるやかな段差が見られ、北側の土塁は削平を受けたものか、内側に崩落したような形跡が確認されます。
西側の虎口の外には尾根に沿っていくつかの段曲輪が確認できます。東にも土橋状の通路と出曲輪があります。

城歩きマンは登山口に置いてあった説明図のうち、ゆるやかコースを選ばず、神社コースという傾斜の急な道を選びました。先に芝築地山城と乙坂山東上の2ヶ所の山城を確認したかったからです。

乙坂山城跡踏査(ブログ用)2016年11月28日 (9)主郭部東辺土塁
乙坂山東城は標高200m付近で、神社側から登っていくと、尾根が大きく西に曲がる位置にあります。細い痩せ尾根上を歩いていると、きれいに斜面成形された土橋状の通路が出てきて、その奥に幅約13mの段曲輪が3ヶ所出現します。

乙坂山城跡踏査(ブログ用)2016年11月28日 (10)主郭部西側虎口部
そのうちの一番奥側の曲輪に土塁が取り付き、その背後に幅の広い大きな堀切があります。その西側斜面では幅約1.5mほどの竪堀が垂下しています。東側斜面には中央の土橋部分に土留用の石垣を積んだ形跡を確認しました。

乙坂山城跡踏査(ブログ用)2016年11月28日 (13)山頂部展望所(南辺土塁上)と三角点
もう少し精査する必要がありますが、山頂部の城跡と中腹の痩せ尾根上に展開する城跡は、各々、規模や形態に差があるように思われます。時期的に分けて考える必要があります。
いずれにしても、栃川周辺の山城の実態が少しでも明らかになったことが、些細なことですが前進かな、と思っています。
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