越前町栃川の茶臼山城跡の踏査

栃川茶臼山城跡の踏査2016年11月30日 (7)栃川集落と茶臼山城(矢印)の遠望(南から)
越前町(旧朝日町)栃川の茶臼山城跡(遺跡地図№18057、実際は尉ヶ峰城跡と思われる)を踏査しました。

編集_IMG_20161129_0002_NEW茶臼山城跡の位置図(国土地理院の地図を引用、一部改変しました、緑線は歩いたコース)
最初は横山の裏側から谷伝いに西側裾部に入り、そこから一気に山頂部をめざす手を考えて歩いてみましたが、この谷は意外に奥深く、かなりの歩きを必要とするかナ、と思われましたので引き返し、やはり栃川の奥の谷から登城する方法が最善だと思われました。
栃川茶臼山城跡の踏査2016年11月30日 (1)栃川集落墓地と竹やぶ
栃川集落の奥、善隆寺の前の道(現在通行止めの看板が立っている)を進んだ中ほどに車を停めて、墓地のある竹藪の道を歩いてみました。
標高220.6m、比高差150mほどの山です。

竹やぶが終わったあたりから、明るくなって、視界がひらけてきました。急登の尾根道に出たようです。送電線の鉄塔が現れて、ここから一気に尾根線まで登ることになります。

栃川茶臼山城跡の踏査2016年11月30日 (2)山頂部の主郭部の土塁(右側が平虎口部)
天候が晴れから曇り空に変わってきて、このまま持つかな、とも思いましたが引き返すわけにもいかず、初志貫徹あるのみ!

30分ほども登ったでしょうか、ようやく尾根に出ました。冬枯れの季節で樹々の葉っぱはほとんど枯れ落ちていました。見通しもよく、遺構観察にはもってこいです。

この茶臼山城跡、実際は尉ヶ峰城跡ですが、『福井県の中・近世城館跡』に掲載されている尉ヶ峰城跡の遺構図の通り、ばっちり土塁をもつ山城の形態を確認することができました。
南北に細長いプランで、南辺にやや浅い堀切があり、山頂部に並行する2本の土塁があって、その北にも鍵の手に折れ曲がる土塁が取り付いています。

栃川茶臼山城跡の踏査2016年11月30日 (3)同、平虎口をもつ土塁(左が虎口部)
主郭部と思われるところに2本の併行する土塁が囲繞するはず、と思って端をしきりに見渡すのですが土塁が回っていく様子はありませんでした。併行する土塁の南辺に平虎口状に開く入口があって、こちらは搦手、北側の鍵の手に折れ曲がる土塁がある部分が大手になるかと思われました。

栃川茶臼山城跡の踏査2016年11月30日 (4)主郭部の平坦地(上が北側)
東と西は急傾斜の斜面で、するどく切れ落ちています。周りに樹木が生い茂っているせいで周囲への眺望は、現在全く効きませんが、当時は乙坂山との連携や、南側の鯖武盆地もよく見通せたかと思われます。

茶臼山城跡を見たお蔭で気が付きましたが、乙坂山(柴築地山城跡)とこの茶臼山城跡(尉ヶ峰城跡)の土塁の形状がほぼ同じだということ。
栃川茶臼山城跡の踏査2016年11月30日 (5)南側にある堀切の土橋
幅が比較的広く、周りに空堀などは巡らさないこと、高さもよく見ないと見過ごすほどに現状が低いということ。この両者は恐らく同時期に築城されたものか、という印象を与えます。
しかし、城のプランはふたつとも全く違うことも印象的でした。

栃川茶臼山城跡の踏査2016年11月30日 (6)堀切を横から俯瞰する
こうして、旧朝日町栃川周辺の山城を4ヶ所あるきましたが、最初の尉ヶ峰城跡(実際は茶臼山城跡)の畝状竪堀に始まって、土塁囲みのプランをもつ乙坂山、土塁囲みにならないがしっかり土塁を配置している尉ヶ峰城跡(茶臼山城跡)などなど、どれも戦国時代末頃の形態を示して余りある山城のいろいろを勉強することができました。

今後は烏ヶ岳城跡や青野城跡、旧清水町の片山真光寺城跡、鯖江市の長泉寺城跡なども近いうちに踏査したいと思っています。
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