敦賀市金ヶ崎・手筒山城跡の踏査(その2)

金ヶ崎、手筒山城の踏査(ブログ用)2016年12月3日 (13)金ヶ崎城跡遠望(手筒山展望塔から)
平成28年12月3日(土)敦賀市の金ヶ崎・手筒山城を踏査しました。
大坂在住の研究者によって、金ヶ崎城の畝状竪堀の位置が示された縄張図をみながら、金ヶ崎宮の鳥居の右手奥の山径から、直登コースでしたが現地の「二の木戸」へ向かいました。

金ヶ崎、手筒山城の踏査(ブログ用)2016年12月3日 (7)畝状竪堀(手前の3条)
二の木戸とは言いますが、いわゆる堀切のことをさし、本城跡には東側の一の木戸、西方の三の木戸と三ヶ所に大きな堀切が穿たれています。
もっとも金ヶ崎城にはこれ以外にも堀切や曲輪、竪堀などが多数ありますが、『太平記』での記述に沿った遺構の表記で、これらの木戸が特に強調された格好です。

金ヶ崎、手筒山城の踏査(ブログ用)2016年12月3日 (8)畝状竪堀(上から、向かって右が二の木戸)
マ、それはさておいて、この二の木戸のところの北側斜面下に畝状竪堀が7条並んでいるというので、さっそく北側斜面をのぞいてみました。すると、雑木林になっている斜面が冬枯れですっかり葉っぱが落ちて、すっきり奥が見通せます。あるある――。確かに畝状竪堀が累々と並んでいます…。

金ヶ崎、手筒山城の踏査(ブログ用)2016年12月3日 (9)畝状竪堀(上の線は派生尾根上の曲輪のエッジ)
一条の堀の幅は2mから2.5mのもの、3mのものとバラツキがあります。穿たれている位置は西側の階段状の段曲輪のエッジから約5m下です。これは明らかに腰曲輪がまわっている部分を畝状竪堀で刻んだ格好です。

この畝状竪堀の先端部にも帯状に細い平坦地が回り込んでいるのが確認できます。一条の長さは5mから8mほどで、規則正しく並んでいるのではなく、2,3条ずつ間隔を置いて穿たれているようです。
二の木戸は見たところ二重堀切となっていて、南側斜面の堀切の先は竪堀となってさらに長く延びています。しかし、短い方は直登のジグザグの階段を取り付けるために新たに開いた山径の切り通しのようにも見えます――?

金ヶ崎、手筒山城の踏査(ブログ用)2016年12月3日 (10)手筒山山頂手前の尾根線の堀切(遊歩道から奥に入ったところ)
畝状竪堀が刻まれた場所は谷地形となっていて、敵が半島部先端を回り込んで、北側に回り敦賀セメントの工場敷地あたりから主郭部、月見御殿へ侵入するのを阻止するための防禦施設であったと思われます。
前述した舞崎町の丘陵先端部の調査でも、畝状竪堀が確認されている場所は余座集落側から小さな谷を登ってきた斜面の頂部で、その意味では同じような選地です。

金ヶ崎、手筒山城の踏査(ブログ用)2016年12月3日 (11)手筒山山頂手前の尾根線から敦賀セメント工場を望む
城歩きマンは、この畝状竪堀の踏査を終えてから、手筒山城へと進み、途中の曲輪の内容をつぶさに観察しました。
そして、金ヶ崎城跡に関しては、遊歩道によって尾根線部分が大きく削平され、階段状に並んでいたはずの曲輪の状態が原形を失っていて、ほぼ把握できない状態であることは明らかでした。
それでも、いくつか堀切や段曲輪を確認できたことは多少の進歩と思われます。

金ヶ崎、手筒山城の踏査(ブログ用)2016年12月3日 (12)手筒山山頂部の展望塔
金ヶ崎、手筒山城の踏査(ブログ用)2016年12月3日 (14)展望塔から手筒山南側の尾根を望む
急登が続く手筒山山頂部への遊歩道を登り切って、展望塔の下で昼食のおにぎりを食べました。後から後から、ハイカーが通り過ぎていきます。
5~10人のウオーキングの人たちがワイワイ言いながら登ってきます。本当に金ヶ崎、手筒山は敦賀市民に親しまれた山なんだとあらためて知らされました。

金ヶ崎、手筒山城の踏査(ブログ用)2016年12月3日 (16)金前寺から手筒山山頂を望む
山頂部にある展望塔の回り階段を登りつめて、そこからまた敦賀港や金ヶ崎半島部の写真を撮りました。
それにしても規模の大きな山城です。まだまだ歩き足りないのは当然。今後二度、三度と歩いてみたい山城です。
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COMMENT 4

midorishako  2016, 12. 06 [Tue] 18:12

畝状竪堀

金ヶ崎城の踏査、ご苦労様でした。
畝状竪堀が確認できて、よかったですね。
踏査をした甲斐がありましたね。

それにしても大きなお城、県内でも指折りというのも頷けます。
もう一度私も登ってみたいと思いました。

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城歩きマン  2016, 12. 07 [Wed] 08:22

midorishakoさん、コメントありがとうございます。

金ヶ崎城は手筒山城と地続きで大きな山城です。
いつか、その全貌が分かる時が来ると思います。その日がとても楽しみです。

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怜の父  2016, 12. 07 [Wed] 21:02

金ヶ崎、手筒山は5、6回は登っており、畝状竪堀郡のある所も何度も通っているのに、全く気付きませんでした(-.-)
もっと注意深く見て歩かないと進歩がないですね、反省です

ここは遊歩道が綺麗に整備されてしまって、市民には憩いの散歩コースなんですが、遺構がかなり破損してますね
越前の要の城の割には、山城としての整備が手付かずのようなので、これから期待したいですね

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城歩きマン  2016, 12. 08 [Thu] 08:05

怜の父さん、コメントありがとうございます。

畝状竪堀があるのと、ないのとではその城の位置付けが全く変わってしまうのが、山城の面白さでしょうか?

きっと手筒山城のほうにも畝状竪堀が新たに見つかると思っています。いつか、自分の手で見つけたいものですね。

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