東海の名城をめぐる旅(清州城跡)

東海の名城見学研修2016年10月30日 (ブログ用) (14)清州城模擬天守遠望(大手橋から)
平成28年10月30日(日)福井の城好きな人たちで作る団体が、名城めぐりの旅を企画しましたので参加しました。
訪問先は岐阜県墨俣城、愛知県清州城、小牧山城の3城です。

前回のブログで小牧山城を紹介しましたので、今回は清州城です。
清州城は清須とも書きますが、信長が天下取りに歩み始めた最初の城として、城好きな人たちにはよく知られた城跡です。

東海の名城見学研修2016年10月30日 (ブログ用) (20)清須城天守(入口付近から)
もともと尾張の守護であった斯波氏が守護所下津城の別城(郭)として築城したものですが、文明8年(1476)に守護所の移転に伴い、斯波氏はこの清州に移転し、守護代の織田氏がこの城を守りました。

東海の名城見学研修2016年10月30日 (ブログ用) (15)清須城址と中心部にある祠
何よりもこの城が知られるようになったきっかけは、信長亡き後に織田の重臣が後継者をめぐってこの城で会議を開いたという、「清須会議」の舞台だったということでしょう。
この城へは毎日のように多くの見学客が訪れ、信長の偉業をしのぶ人たちのたまり場になっているようにも思えます。

東海の名城見学研修2016年10月30日 (ブログ用) (16)信長公の石碑
JR,新幹線の線路が城跡の中心部を斜めに突っ切っていて、本丸跡とされる場所も二つに切られた格好です。現在建っている天守は模擬天守で、五条川の東岸に場所を移して建てられています。

東海の名城見学研修2016年10月30日 (ブログ用) (17)桶狭間をにらんで立つ信長像
現在、城跡本丸周辺は清州公園として整備され、天守以外にも五条川の河川改修工事で出土した石垣が移転されたものや、信長像が置かれた緑地公園などがあって、散策を楽しむ憩いの空間として利用されています。
ちなみに天守が建てられている場所は守護所があった時代に居館が置かれた場所と目されています。また、復元された模擬天守は、何故か犬山城をモデルにしていると言います。犬山城には望楼の下の位置に唐破風が見られますが、この清州城では破風はすべて「千鳥破風」仕様になっています。

東海の名城見学研修2016年10月30日 (ブログ用) (18)本丸石垣が出土した場所を指差すガイドさん
東海の名城見学研修2016年10月30日 (ブログ用) (19)石垣が移転復元されたもの
それはともかく、ガイドさんが配ってくれたコピー刷りの資料に、清州城の城下町のプラン図がありました。
五条川を自然の堀に見立てて、その西岸に南北に「梯郭」式の城を築き、南端が本丸になっています。その外側に中堀、外堀というように二重の堀を巡らせています。

清州城下町模式図ガイドさんが配っている説明資料より
どなたからも指摘はありませんが、この清州城の近世初期頃の城下町プラン図に示されたお城のプランは、実は北ノ庄城の復元想像図と極めてよく似たプラン配置を示しています。北ノ庄城は信長の重臣であった柴田勝家によって築かれたお城です。
予断は禁物ですが、このプラン配置の一致は偶然かも知れませんが、何かもっと意味があるようにも思えて気になります。

昭和57年ごろから周辺の開発に伴って、清州城跡の発掘調査が行われていたようです。ガイドさんが配ってくれた図もその発掘の成果の一部です。いろいろなことを私たちに教えてくれているように思います。<この項続く>
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