福井市方山真光寺城跡の踏査(1)

福井市方山真光寺城跡の踏査(1)
福井市片山真光寺城の踏査 (1)方山真光寺跡遠望(西から)
平成29年2月3日(金)このところ晴れの日が続いています。例によって山歩きグセがむずむずと…。
そこで、福井市片山町にある「方山真光寺城跡」を踏査しました。


この城跡は『福井県の地名辞典』によると、丹生郡清水町の項中に「真光寺跡」として記載がありましたので、それを拾ってみました。
“片山町の山頂部(標高121.0m)にある龍王神社の西麓が寺跡と考えられ、文安二年(1449)の東寺百合文書中の「越前国真光寺東寺修造料足奉加人数注進状」の裏書きに「方山真光寺」の名がみえる”と言います。
また「越前国城跡考」では、“屋敷跡、朝倉家真光寺、信長時代増井甚内之助、片山村枝村真光寺村之内ニ五町ニ二町計之所”と記され、城館に使用されたらしいとあります。

福井市片山真光寺城の踏査 (8)方山真光寺多層塔跡のある高台(西から)
増井甚内助は朝倉恩顧の武将の一人で、元亀三年(1572)八月、富田長繁と共に織田信長に寝返った武将として知られています。朝倉氏滅亡後も真光寺跡に居館したものと考えられ、一向一揆の攻撃の的にされて『朝倉始末記』に「富田ガ股肱之臣、増井甚内助ガ楯籠ル片山ノ真光寺ヲ責メケルニ、増井アヤナク討死ス」とあります。

福井市片山真光寺城の踏査 (2)遺跡への入口(案内板)
近年、この地で発掘調査が行われ多層塔の建っていた跡と目されるところが検出されると同時に、周辺の墳墓群の様子も明らかにされました。
発掘調査の成果から、方山真光寺は独立丘陵である片山をバックにして創建された、中世の密教系寺院のひとつではないかと判断されました。ただ、遺跡の全体を発掘したわけではないので、寺院の全貌については未詳とせざるを得ないとも言います。
遺跡で発見された石造多層塔の残欠片等は、現在、福井市の指定文化財になっており、また現地の遺構も史跡として保存・整備されています。

福井市片山真光寺城の踏査 (3)塔跡の説明板と多層塔のミニチュア模型
西光寺さんがある境内の北側の見学路を登ると、すぐに塔跡の広場に出ました。ここから急斜面を登り、山城へと登城を開始しました。
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