福井市方山真光寺城跡の踏査(2)

福井市方山真光寺城跡の踏査(2)
福井市片山真光寺城の踏査 (4)方山真光寺・雌剣神社祠
方山真光寺の塔跡のある広場から、急な細い山路をのぼると、中腹の所で尾根線が大きく左へ曲がる場所に出ます。
ここには小さなお堂があって、周りは低い土堤が巡っています。山頂部の雄剣神社に対して雌剣神社というそうです。祠を建てるためにまわりを掘りくぼめたように見えます。

福井市片山真光寺城の踏査 (5)主郭南側二重堀切(東斜面から)
この御堂を見ながら、更に尾根線を進んでいきますと、ゆるやかな尾根のむこうにまた小さなお堂が見えてきました。
こちらはちゃんとした(?)建物で、参道らしき道もありました。その手前に二重の堀切があります。
幅約2m、深さは1.5mほどになりましょうか、しっかりと掘り込まれているのが分かります。二本の堀溝の間は土塁状に盛り上げられていて、長さ約7mほど確認されました。これはお堂の奥にある背面の堀切、こちらも二重堀切ですが、同じように土塁状に盛り上げられていました。この堀切の様相は、戦国時代末の様相と極めてよく似ていて、同時代の所作かな、と思われました。

福井市片山真光寺城の踏査 (6)方山真光寺雄剣神社祠(主郭部)
御堂の建物から見て東側の尾根上にある堀切は一重で、南側に向かって腰曲輪状に回り込んでいました。やや浅い竪堀が堀切の両側に掘られているのが確認できました。東尾根の部分は、さらに馬の背状に延びて約50m先で平坦地を作っているようです。

御堂の西側、一段下の斜面にも腰曲輪があって、南側二重堀切の先端から北側の堀切に続いています。

福井市片山真光寺城の踏査 (7)主郭部南側二重堀切(北側から)
御堂の北側、二重堀切の向う側には二段の平坦地が造成されているようで、やはり兵站地のような空間かなと思われました。
またお堂の南側、登城路の手前側も雌剣神社からは痩せ尾根上に幅約5,6mほどに細長く平坦地を設けているようで、これも人工的な造作を感じました。

周辺にはこれら以外には防禦施設は見当らず、さすがに、増井甚内助がにわか仕立てで作った城かな、と十分に思わせるものでした。
甚内助は一揆に攻められる以前に、既に織田方に寝返って富田らと一緒に長島の戦いに加わっていたと思われ、彼らの城造りを知っていた可能性もあるわけです。
しかし真光寺城にはそうした造作が見られません。急場づくりの堀切や竪堀が主郭のまわりに限って掘り込まれているだけです。同時期、一揆衆に攻められた三留孫六の居館や城跡がすぐ近くの三留地区にありますが、ここも、その山城部分を見る限り、尾根上にいくつかの平坦地が見られるだけで本格的な城跡は確認できません。
このあたり、富田や増井の城造りは古い形態のものに留まっていたものかなと感じました。

真光寺城跡は戦国時代の顛末を語るうえで、重要な城跡の一つと思われるのですが、麓にある寺院跡のほうが発掘調査の成果もあって先行して知名度があり、城跡のほうはまだまだ人口に膾炙していません。寺院と一体となった遺跡整備が望まれるところです。
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COMMENT 2

怜の父  2017, 02. 07 [Tue] 22:59

以前、鯖江から三留の現場への行き帰りにこの山の麓を通っていたのですが、妙に気になる山だったので、少し歩いてみた事があったのですが、城跡とは気づきませんでした。
それも増井氏のものとは‥‥
案内板には一揆勢に攻められたと書いてあったのですが、お寺が攻められたものだと思ってました(^^;

三留城も神社なのか山頂なのかいまいちわからないのですが、ガイドブック的なものがあるともっと一般の人にも認識してもらえるんですが、難しい課題ですね(^^;

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城歩きマン  2017, 02. 08 [Wed] 21:05

怜の父さん、コメントありがとうございます。
福井の山城について、すぐ分かるように紹介したガイドブック、あると大助かりですね。

いつまで待っていてもできてくるような見込みがないので、自分で作ろうと思っています。
せめて、50ヵ所、100ヶ所の山城のガイドブックがあると便利かなと思います。一緒に山歩きしながらつくってみませんか?

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