福井県越前町荒神ヶ峰城跡の踏査(1)

越前町荒神ヶ峰城跡の踏査(1)
越前市荒神ヶ峰城砦の踏査 (9)越前町大谷寺サンガパーク
平成29年2月4日(土)今日もいい天気です。気温も3月頃の暖かさだそうで、城歩きにはもってこいです。
幸い、体調も良好で、二日連ちゃんですが城歩きを実行することに――。

越前市荒神ヶ峰城砦の踏査(10)サンガパーク北端より城跡を望む(稜線中央部)
場所は、実態不明の山城の一つ、越前町(旧朝日町)荒神ヶ峰城跡です。

先ず、名前ですが、『日本城郭全集』では豊蔵(文蔵ぶんぞう)城とも紹介しています。旧朝日町小倉地区で地名が「2字文蔵ヶ岳」にあるところから、「豊蔵城」の名が残ったと思われます。さらに「軍山(いくさやま?)嶽城」の名前も紹介しています。
「荒神ヶ峰城」は『越前国城跡考』で笹谷地区の枝村四ツ輪村南方にありとしていますが、該当がないと言います。『城郭全集』では北方の清水町笹谷区と境界にあたるところから、同じ「越前国城跡考」にある「軍山嶽城」こそが荒神ヶ峰城にあたるのではないか、と言います。


いずれにしても、三通りの名前があって、ややこしい関係になっているのですが肝心の城跡の遺構が調査されていません。現地踏査もないように見受けられますので、ここは「百聞は一見に如かず」で、登ってみるよりほかはありません。
伝聞、聞き書きによる調査が主体になっていた「越前国城跡考」の中身はこうしたダブりがかなり見受けられます。この点についても今後、しっかりと整理していかねばならないと思っています。

今一つは歴史的な話になりますが、「荒神ヶ峰城」は南北朝時代の斯波氏と新田氏の攻防の中で登場する城跡の一つです。
暦応元年(1338)七月、義貞が不慮の戦死を遂げた後、弟の脇屋義助が巻き返しに出て、斯波高経の黒丸城を落とす戦いが繰り広げられますが、この時、義助が府中から黒丸城に向って進軍する途中で、丹生郡内の十七ヵ所の城を三日三晩にわたって攻め落とした、と言います。この丹生郡内の城の中に荒神ヶ峰城が登場します。義助は府中から三手に分かれて黒丸城に向かっています。

三手の一つ、日野川沿いコースの田中城、二つ目の越知山大谷寺・志津庄のある荒神ヶ峰城のコース、さらに織田剣神社・織田庄のある織田城のコースということになりますが、荒神ヶ峰城はその中でも山間地荘園を対象とした丹生山地中央部の城館を攻めるためのコースだったと思われます。
しかしながら、その後の歴史には荒神ヶ峰城の名は全く登場せず、軍山嶽城も豊蔵城も出てきません。従って南北朝期だけの城かというと、そうでもないようです。
スポンサーサイト

COMMENT 0